2009年1月4日(日)特別なきずな
おはようございます。南与力町教会の山村早苗です。
新しい年を迎え、気持ちも新たにスタートされたことと思います。わたしも年の初めになるといつも、今年はどんな一年になるかしらとわくわくした気持ちになります。
私の今までの人生の中で新しく再スタートを切ったのが約20年前。教会に一度も行ったことがない私と夫は結婚式を挙げさせてくれる所を探していて、ある友人に連れられパリ日本人教会の礼拝に出席しました。そして結婚式の5ヶ月後には夫婦そろって洗礼を受け新しい歩みが始まりました。初めて礼拝に出席した日のことはよく覚えています。聖書も賛美歌も手にするのは初めてなので、周りの人の様子を見よう見まねでなんだか不思議な礼拝体験でした。
その時とても驚き心に残っていることは、教会の方々がお互いを兄弟姉妹と呼んでおられることでした。もちろん皆さん血縁関係はありません。そのときはよく意味が分からないまま、教会ではこういうふうに呼ぶのかな?と思っていました。
ところで、今この放送をお聞きになっていらっしゃる皆さん、もし私とあなたが血のつながった家族、親戚ですよと言われたらどう思われるでしょうか?お互い名前も顔も知らないのにまさか…と考えるのが普通ですね。
昨年、アメリカの大統領予備選挙が行われているときにブッシュ大統領とオバマ氏が先祖を10代までさかのぼると共通の人に行き当たったという記事が新聞に出ていました。偶然のように思えますが、実はそうでもなさそうです。ある方が文章の中で書いておられたのですが、先祖を30代さかのぼるとその数は約10億人になり、時代は今から600年前頃になるそうです。400年前でも日本の人口は3000万人以下だったそうですので、数字だけで考えると日本人は皆親族ということになりますね。
血のつながりがあるというだけで少し親近感を覚えますが、知らない親戚の人よりは心の通じ合った友達の方が一緒にいて安らげます。友達からさらに深まって親友となり、やがてもっと深い信頼関係になってくると「兄弟同然です。」というふうに表現することもあります。やはり人をつなぐ絆が普通の友達関係とは違うとき兄弟という言葉が使いたくなりますね。クリスチャンも普通の友達関係とは違うつながりをもっています。
聖書の中に書かれているイエスさまの御言葉にこのようなものがあります。
「だれでも、わたしの天の父のみ心を行う人が、わたしの兄弟姉妹、また母である」
天の父とは神様のことです。イエスさまが祈る時にはこう祈りなさいと教えてくださった主の祈りがマタイによる福音書6章に書かれていますが、その冒頭にもこうあります。「天におられるわたしたちの父よ、み名が崇められますように」
イエスさまを信じる者は皆神様の子とされます。ですから教会に集っていらっしゃる方々はみんな天の神様を父とする兄弟姉妹です。そして聖書から神様の聖なる思いを教えられ、少しでも神様のみ心にかなう歩みができるようにという共通の祈りをもっています。私たちクリスチャンは日常一緒に過ごすという親しさではなく、もっと大きな神様の家族であるという絆で結ばれています。