2008年10月5日(日)聖書を手に取ろう

おはようございます。山下正雄です。
今、この番組を聴いてくださっているあなたは、聖書という書物をお読みになったことがおありでしょうか。聖書なんて言葉を聞いただけで、最初から拒絶反応を起こしてしまうという方もいらっしゃるかもしれません。どうか、食わず嫌いにならないで、実際に手にとって読んでみていただきたいと思います。

こんなことを言っているわたしも、実は16歳の年になるまで、聖書というものを見たことも読んだこともなかったのです。たまたま姉の本棚にあった一冊の聖書を暇に任せて読み始めたのが聖書との出会いのきっかけです。その時のわたしはキリスト教に関心があったわけではありません。宗教を求めていたというわけでもありません。自分にとってはまったく偶然の出会いです。自分が偶然の出会いから聖書を読み始めたのですから、きょうこの番組を聴いた方の中にも、自分と同じように偶然この番組を聴いて聖書を読み始める人がでてきたら面白いと思って話をしています。何事も出会いのチャンスというのは大切です。せっかくこの番組を耳にしたのですから、聖書を手にとって中をパラパラと見てください。

聖書と一口で言っても、旧約聖書と新約聖書があります。普通は両方あわせて「聖書」と呼んでいます。両方あわせて二千ページ近くもある分厚い書物ですから、手にしただけで、読む気力が失せてしまうというのもわからないでもありません。最初から全部読もうなどと気負わないで、とりあえず最初の30ページだけでも目を通してみてください。できれば旧約聖書の最初から読んでみてください。
聖書の最初に書かれているのは、天地万物が神によって造られる様子です。バカらしいと決め付けてしまわないで、そんな世界観もあるのものだと気持ちを新たにして読み進めてみてください。そもそも神などいないとか、この宇宙が偶然と自然によってできたなどという常識を、一度脇に置いておいて、どっぷりと聖書の世界に浸かってみてください。

何事もそうだと思うのですが、「つまらない」「くだらない」「おもしろくない」などと最初から偏見をもって接していたら、どんなものもつまらなく見えてきてしまいます。つまらなく見えてくるというばかりか、そうやって自分自身の世界をどんどん狭めてきてしまうと思うのです。
ものごとを批判的に見つめる目も大切ですが、その世界に浸って初めて味わえるものもあるはずです。それは自分を一度相対化する事にも繋がると思うのです。ちょっとカチンと来る言い方かもしれませんが、自分を絶対化する人は進歩の望めない人です。批判はあとからいくらでもできるのですから、まずは自分を相対化して、あるがままにその世界に身を置いて考えることも大切なのです。

聖書が天地万物の成り立ちについてまず最初に書き記しているということは、決して何の考えも意図もなく、ただ思いつきでそうしたというわけではありません。それは聖書全体が描く世界の大前提だからです。とりあえずここを飛ばして先を読んだとしても、それでは意味がありません。
神が造った世界だからこそ、そこに意味があり、神が造った世界だからこそ、その同じ神によって救いの希望をもつことができるというメッセージがそこには雄弁に語られているのです。

まずは聖書の最初の30ページ、聖書の世界に浸り、聖書と対話しながら読んでみてください。きっと新しい目で世界とその中にあるものを見つめなおすことができるはずです。