2008年7月20日(日)正義を愛する神
おはようございます。山下正雄です。
テレビドラマ「水戸黄門」は放送回数千回を越える長寿の人気番組です。再放送を含めるといったいどれだけの日本人がこの番組を観たことでしょうか。その人気の秘訣は、思うに、勧善懲悪に徹していることです。悪は必ず懲らしめられ、正義が実現する単純明快なストーリーだからです。誰もが観ていてすっきりとした気持ちになるからです。
現実の社会はそんなに単純ではないという意見もあるかもしれません。確かにそうです。現実の世界では正直者がバカを見たり、弱い者がいつまでも苦しめられたりします。しかし、そうであればこそ、ドラマの世界ではすっきりとした気持ちになれるところが人気の秘訣なのだと思います。そして、このドラマを観ていてすっきりとした気持ちになれるということは、言い換えれば、程度や形は違っていても、誰もが不正や不公平に悩まされる気持ちを共有しているからです。誰もが日ごろの苦しみをこのドラマの中で解消させ、いつかは正義が実現し、悪が懲らしめられることを期待しているのです。
この正義を愛する感覚は平凡かもしれませんが、決して侮ってはいけないものです。キリスト教的に言えば、そういう感覚を神が人間にお与えになっているからです。正義が実現しない社会は社会として機能していないのです。
さて、旧約聖書の詩編37編には「主は正義を愛される」(37:28)という言葉があります。聖書の神は正義を愛される神なのです。
ところが、この詩編37編全体が描いている現実の社会は不正のはびこる社会です。この詩編は初っ端から「悪事を謀る者のことでいら立つな。 不正を行う者をうらやむな」と記します。悪事がはびこり、不正が横行し、それでものうのうと生きている悪人を見るときに、イライラとした気持ちが募ってきます。不正を行なっても何の制裁も受けないなら、真面目に生きるだけ損だと思いたくもなってしまう社会です。
そんな社会に生きている人々に、この詩編は、それでも真っ直ぐに正しく生きるようにと勧めているのです。なぜなら神は正義を愛されるお方だからです。目先の判断で、自分も悪を行う人の仲間に入るのではなく、もっと先の希望まで見通して生きることを勧めているのです。
神は正義を愛されるお方で、必ず悪に報い、正義を実現してくださるからです。神がこころに植え付けてくださったその正義を愛する感覚を、しっかりと保って生きることを勧めているのです。
この詩編は意気消沈している人々にこう呼びかけます。
「主に望みをおき、主の道を守れ。 主はあなたを高く上げて 地を継がせてくださる。 あなたは逆らう者が断たれるのを見るであろう。」
正義を愛される聖書の神を信頼して歩むことこそが大切であるとこの詩編は教えています。
正義の実現がどれほど難しいことであるのかは、世界の歴史を眺めてみれば一目瞭然です。いえ、わざわざ人類の過去を振り返るまでもなく、今の現実の世界を見渡しただけでも正義の実現の難しさを感じることができます。しかし、だからこそ諦めてはならないのです。正義を愛する生き方がどんなに現実離れしているように思われても、そこに留まるようにと聖書は教えています。天地万物をお造りになった神が正義を愛される神だからです。
最後の最後に、神は必ず正義を実現してくださいます。その約束が裏切られることはありません。