2008年3月23日(日)イースターの喜び
おはようございます。山下正雄です。
きょうはイエス・キリストの復活を祝うイースターの日です。十字架におかかりになったキリストが、死から甦られたことを記念する日です。その復活の日が日曜日であったことから、キリスト教会では日曜日に礼拝を守るようになりました。
さて、死んだ人が甦るという話は、誰もがすぐには信じられない話です。もちろん、ただ単に息を吹き返したという話ならば、今でもありえる話です。しかし、キリストの復活は墓に葬られてから何十時間もたってからの出来事です。
一番最初に書かれたといわれるマルコによる福音書には、この復活の出来事が尋常ではない事件として描かれています。空っぽになったキリストの墓を発見した女性たちのことをマルコ福音書はこう記しています。
「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」
復活という出来事がどれほど異常な体験であったかが、その書きっぷりから伺われます。自分たちが今まで体験してきたことからは、とても状況を把握できないほどの出来事です。震えるしかない、正気を失ってその場を逃げ出すしかない異常な体験です。
もちろん、お墓が空っぽであったというだけではキリストが死者の中から復活したという証拠にはなりません。誰かが遺体を盗み出したのかもしれないからです。
同じようにキリストの復活のことを記したルカによる福音書にはこんな記事が記されています。
イエス・キリストに期待を寄せていた二人の男が、十字架という恐ろしい事件の顛末を見て、失意のうちに都エルサレムからエマオという村に向かって歩いている時に起った出来事です。
この二人は村に向かう道で復活のキリストと出会ったのです。甦られたキリストと出会って、道を共にしたときのことを振り返ってこう語っています。
「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」
復活のキリストそのものを見ていない先ほどの婦人たちとは違って、甦ったキリストと出会ったこの二人には心に燃えるものを感じるという体験があったのでした。
この出来事は復活のキリストがもたらしてくださる喜びと希望を活き活きと描いています。
復活のキリストは聖書が教えている救いの希望を説得力をもって解き明かしてくださいます。神はキリストの復活を通してまことの命を保証してくださるのです。復活のキリストと出会ったこの二人の言葉にはその喜びが活き活きと感じられます。
キリストの弟子たちはその後、キリストが復活されたことを証言する証人として世界中に散らばっていきました。この弟子たちは一時は十字架で処刑されるキリストを見捨てて逃げ去った者たちでした。しかし、この復活のキリストと出会ってからは、死をも苦しみをも恐れずにキリストを証しする者に変えられたのです。キリストのうちに真の救い、真の命を見出したからです。
あなたもどうかこの命であり甦りであるキリストに聖書を通して出会うことができますように。