2007年12月23日(日)幼な子イエスのもとに
おはようございます。安芸にあります芸陽教会の宮武輝彦です。
今日は、各地のキリスト教会でクリスマス礼拝が開かれます。教会では讃美歌を礼拝のたびごとに歌いますが、わたしの好きな讃美歌の一つに、「いずこの家にもめでたきおとずれ」という歌があります。その歌詞はこのようなものです。1節、3節、6節を紹介しましょう。
「いずこの家にも めでたきおとずれ 伝うるためとて 天よりくだりぬ。」「神なるイエスこそ 罪とがきよめる きずなき小羊、救いの君なれ」「まぶねのそばにて マリヤが歌える み歌に合わせて 我らも主をほめん。」
わたしはこの歌を聞くたびごとに、クリスマスの祝福は、すべての人々に分かち合って余りあるもの、また、どのような家族にも、また、身寄りのない方々にも、貧しく飢え乾いている方々にも、お伝えしなければならない、神さまの良きおとずれであることを信じるものです。世界で一番初めにイエス・キリストのお生れになったことを聞いたのも、その当時、人々から離れたところで暮らしていた貧しい羊飼いたちでした。そのときの様子を新約聖書ルカによる福音書2章8節以下でこのように伝えています。
「さて、この地方で羊飼いたちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると主のみつかいが現れ、主の栄光が彼らをめぐり照らしたので、彼らは非常に恐れた。みつかいは言った。『恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼い葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである。』するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、みつかいと一緒になって神をさんびして言った。『いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、みこころにかなう人々に平和があるように』(口語訳)。
このとき、羊飼いたちは、天のみつかいの知らせる驚くべき知らせを知って、すぐさま、ベツレヘムの家畜小屋を尋ね、飼い葉おけに寝かせてある幼な子、イエス・キリストを捜し当て、すべてのことが天のみつかいから聞いたとおりであったので、神さまをさんびしながら、帰ったのでした。天のみつかいたちが賛美したように、イエス・キリストの誕生は、天の栄光とともに、わたしたちの生活のただ中にほんとうの平和が実現することを歌う声をもって伝えられるものです。このほんとうの平和をわたしたちのうちに実現してくださる全ての人々の王様がイエス・キリストなのです。
このことをイエス・キリストのお生まれになるずっと前に、イザヤという預言者はこう言いました。「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にあるその名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。』」(イザヤ書9章5節)と。
小さな生れたばかりの男の子のうちに、まことの神さまの権威があるとの聖書の言葉はわたしたちに一つの神の真実を伝えるものです。もし、わたしたちが本当に人々の平和を実現することを願うのなら、この幼な子イエス・キリストを受け入れることからはじめることです。そして、このことは、決して愚かなことではなく、まことの神さまの深いお考えによることなのです。イエス・キリストのお生まれになった目的は、わたしたちが神さまの方に向き直り、神さまを賛美するものとされ、人々がお互いにゆるし合う平和を実現することです。まことの平和を実現する人々のただ一つの願いは、良き知らせを受けた羊飼いたちのように、人々がキリストのもとに来て、ほんとうの喜びと祝福を受けることです。
どうぞ、あなたもおさな子イエスさまのもとに来て、神さまのもたらすほんとうの心の平安にあずかってくださいますように、心よりお祈りいたします。ぜひ、良いクリスマスをお迎えください。