2007年10月28日(日)新しい出発
おはようございます。山下正雄です。
まとわりつく過去の嫌な思い出を払拭することはとても難しいことです。どんなことでも赦せても、自分のことだけは赦すことができないといって、自分の犯した過去の失敗で悩む人は案外多いものです。また真面目な人ほど自分を赦したり、過去の記憶から自分を解放することができないようです。もちろん、自分のミスを何とも思わない人に比べたら、その方がよほど真摯な生き方です。しかし、人間の目は前を見るようについているのです。後ろばかりを見ていたのでは、しっかり前に進むことができません。
前に進もうと心から願う人に贈る素晴らしい聖書の言葉があります。コリントの信徒への手紙二の5章17節の言葉です。
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」
新しい出発はキリストのうちにあると聖書は語っています。過去の自分を赦して解放するには、キリストと結び合わされることが必要です。人は人に対して同情することはできます。「そんなことは誰にだってあることだ」と慰めてくれます。あるいは、「わたしがあなたと同じ状況なら、きっと同じ失敗をしたと思う」と同じ目線で共感してくれます。確かにその言葉は慰めに満ちています。励ましを受けます。しかし、過去を根本的に修復するものではありません。もちろん、過去を変えることは誰にもできないことです。
しかし、聖書は語っています。「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです」
キリストのうちを歩む者だけが、新しい出発をすることができるのです。それは新たに気持ちを仕切りなおして、出直すということではありません。「新しく創造された者」と聖書は語っています。
キリストが勝ち取ってくださった救いは、わたしたちを過去の一切から解放し、わたしたちを新たに造り変えてくださることなのです。気持ちの問題ではなく、根本的な変化なのです。
また「新しく創造された者」とは、「新しい被造物」という言葉です。被造物とは造られたものです。被造物という言葉には「造ったお方・創造主」と「造られたもの、被造物」という区別があります。つまり、ここでは自分で新しくなることが期待されているのではないのです。自分では新しい出発をすることができないからこそ、神が新しい出発をキリストにあって用意してくださったのです。
わたしたちに期待されていることは、この新しい出発をもたらしてくださるキリストと信仰によって結びつくことです。そのとき「見よ、古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」ということができるのです。
古い自分を悔やんでも、過去を振り返って後悔しても、そこからは何も新しいものは生じません。キリストだけが新しい出発を現実のものとしてくださいます。
神は前を見るようにと目を前向きに造ってくださいました。古い自分から抜け出して、新しい世界に生かしていただくために、新しい自分を造っていただくために、キリストのもとに来ましょう。
聖書は言っています。「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」(2コリント6:2)
今は恵みのときなのですから、このキリストのうちに現われた新しい出発をきょうという日に手に入れましょう。