2007年9月9日(日)あなたに目を留められる神(お話:岡本惠)
私がまだ小さくて、ようやく外を歩き始めた頃のことを母親から聞いたことがあります。家族は、そろって畑仕事に行ってしまい、私ともう一人の兄が家に残されていた、というのです。しかし、どこをどう歩いてきたのか、小さな長靴を履いて、雪道を、母親たちがいる畑に、やってきた、というのです。母親は、そのことを思い出すたびに、かわいそうだった、と申します。
小さくて、今の私には記憶がないのですが、幼い魂にも、自分に目を留めていて欲しいという思いがあったのだ、と思います。
しかし、それは、小さい頃だけではなくて、私たちが成長しても、同じではないでしょうか。だれからも目を留められない、愛情を注がれることもない、と感じることほど悲しいことはないからです。
聖書の詩編8編4節には、このように書かれています。「月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に止めてくださるとは、人間は何者なのでしょう。」
神は、この世界の全てを造ってくださったお方です。月も、星も、私たちが住んでいる地球もそうです。そのお方が、私たち人間に心を留めてくださる、というのです。
私が子供の頃には、家の近くに、多くの野原が残っていました。その野原に大の字になって、夜空の星を見たことがあります。夜空には無数の星が輝いていました。本当に手が届きそうなくらいに近く感じました。そして、同時に、自分が何か夜空を覆っている大きな手で包まれてしまいそうな感じがしたのです。私たちを包み込んでしまうと感じられる自然の手の中で、私たちはなんと小さなものでしょうか。
また、私たちが見ている星の中には、光の速さで何億年もかかるような遠い所にある星があります。
しかも、聖書は、そのように広大な宇宙を造られたのは、神であると語っているのです。その神が、私たち小さな人間に目を留めていてくださる、と語っているのです。神は、あなたのことを目に留めていてくださる、決して、一瞬たりとも忘れてはおられない、と語っているのです。
私たち人間の場合は、どうでしょうか。どのように親しい間柄であっても、いつもいつも、相手に目を留めていることができない時があります。しかし、神は、そうではありません。神はいつでも、あなたに目を留めていてくださるのです。
初めに、母親の姿を求めて、雪道を歩き続けたことをお話しました。いつでもどこでも、自分のそばにいてくれる存在、それを私は求めていたのです。しかし、そのお方こそ、聖書の中で語っていてくださる神だったのです。
ですから、私は、いつまでも悲しいままでいなくても良くなりました。いつまでも、一人ぼっちの寂しさを感じなくても良くなったのです。宇宙のすべてを知り尽くされ、支えておられる神が、わたしのことを片時もお忘れにならないからです。
私だけではありません。神は、あなたの一歩一歩にも、目を留めていてくださるお方です。どうか、今日、この神と共に歩んでくださいますように。