2007年8月5日(日)神の熱意
おはようございます。山下正雄です。
聖書の中で語られる力強い言葉のベストテンを挙げるとすれば、わたしはこの言葉を挙げます。イザヤ書9章6節の一番最後の言葉です。
「万軍の主の熱意がこれを成し遂げる」
この言葉はメシアの到来を預言する言葉としてキリスト教会では有名な預言の言葉です。
「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。 ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。 権威が彼の肩にある。 その名は、『驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君』と唱えられる。ダビデの王座とその王国に権威は増し 平和は絶えることがない。 王国は正義と恵みの業によって 今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。 万軍の主の熱意がこれを成し遂げる」
キリスト教の教えによれば、神が救い主をお遣わしになるご計画を発表されたのは、実に堕落したばかりのアダムとエバを前にしてでした。いつかやがて生まれる女の末裔がサタンである蛇の頭を踏み砕くという内容でした。その約束がいつ果たされるのか、まったく漠然としか知らされませんでした。もちろん、神はそれを漠然と計画されたわけではありません。ふさわしい時期に成就するようにとずっと歴史を導いてこられたのです。
しかし、人間の目にはそうは映りませんでした。神がすっかり約束のことなど忘れているかのように感じられました。神がまったく無力な者のように思われもしました。寝ているとか、沈黙しているとか、果ては神は死んだとさえ言われる時もありました。
実際、先ほど引用したメシア到来を預言したイザヤの言葉でさえ、それが語られたときには、人間が見る限り希望の持てるような状況ではありませんでした。かつてダビデやソロモン王が国を治めていたときのような王国の繁栄は過去の栄光になっていた時代です。周りには強大な帝国が小さな国イスラエルを取り囲んでいたのです。希望を描くことができなかったのは、ただ列強諸国に囲まれていたからというばかりではありません。イエスラエルの人々の心の内側にこそ大きな問題があったのです。
メシアの到来を預言するイザヤ書の1章には厳しい非難の言葉が記されています。
「災いだ、罪を犯す国、咎の重い民 悪を行う者の子孫、堕落した子らは。 彼らは主を捨て イスラエルの聖なる方を侮り、背を向けた」(1:4)
堕落した人間がさらに堕落を蔓延させていっているのです。正義は姿を消し、不正な搾取がはびこり、孤児ややもめの訴えなど聞かれもしない状況です。
そうであればこそ、なおのこと救い主の出現が待ち望まれるです。しかし、人間的な目で見るときにその出現は到底期待のできるものではありませんでした。であればこそ、神はメシアの到来を語るときに「万軍の主の熱意がこれを成し遂げる」とおっしゃるのです。
実に神の熱意が救い主イエス・キリストをこの世に遣わし、救いの実現を成し遂げるのです。人間の熱心さなど当てになりません。神の熱意こそが人を救いへと導くのです。
「万軍の主の熱意がこれを成し遂げる」
なんと力強い言葉でしょうか。自分自身の不甲斐なさに失望することがあっても神に失望してはなりません。神は救いのためにすべてを計画し、すべてを導き、すべてを成し遂げてくださるお方です。「万軍の主の熱意がこれを成し遂げる」のです。