2007年7月15日(日)清和学園で芽生えた信仰

おはようございます。山脇栄子です。

今朝はテモテへの手紙第一の6章12節をお読み致します。「信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい、命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです」
この箇所は清和女子中・高等学校の創立者アンニー・ダウド先生の働きを覚えて、校長であられたバックラウンド先生が選ばれた聖書の箇所であると言われています。そして6章の12節から、6月12日を創立記念日として現在も守られています。

私は清和学園で長い間奉職させて頂いて、今その職場を離れて思うことは、信仰者にとりましては豊かな神礼拝の場(時間)が数多くあり、恵まれた職場であったとしみじみ思い返しています。毎朝、全校生徒、職員で行われる礼拝、帰りの各ホームでの祈りと賛美の礼拝、各会議前の祈り、日曜日は主の日として学校の行事はなく、それぞれの教会で礼拝を守ることができました。その当たり前の恵まれた環境の中にどっぷりと浸かり過ぎていました。この何十年もの間に、自分は信仰をより深く謙虚な気持ちで礼拝を守ることができていただろうか、本当にこれで良かったのかと反省をする今頃です。
一般社会で勤務する方々の信仰の戦いは、私の計り知ることができない戦いだろうと思います。私が礼拝を守っている教会は、南与力町教会です。街中のモダンな建物の教会で訪れる人達は素敵な教会ですねと言って下さいます。先日、「与力町教会と清和学園」と題した原稿が整理をしている荷物の中から出てきました。故橋本亘先生のことを中心に書いてありますので、何かの文集に提出した原稿の一部かと思います。少し紹介させて頂きます。

「学校の書棚に古い一冊のアルバムが残されている。故橋本亘先生が写され、手元に置かれてあったものである。一ページ一ページめくる毎に清和で学んだ学生の写真がびっしりと貼られている。その一枚一枚に名前と受洗日が記され、その数は膨大な数である。私が清和に入学した昭和36年から現在に至るまでを思い返してみても、多くの者が教会に繋がっていた。橋本先生はこじんまりとした清和の校舎の玄関わきにある事務所の一隅に机を置き、宗教主任でありながら理事の仕事を兼務しておられた」という書き出しと共に、日曜日には学生のほとんどの者が教会に出席し、中でも寮生は舎監と共に夕拝にも出席し信仰に導かれた者も多かったと示されています。

当時は2時からが一般礼拝でした。礼拝堂は清和の学生で一杯になったので、午前中に学習礼拝として高校生会を持ち、清和の教員や学生が礼拝当番をしていたことが書かれています。今も南与力町教会の会員の多くは清和学園の出身者であり、また、その関係の方々が多い。清和学園で学んだ学生が卒業後も各地の教会で信仰を守り続けていることは本当に感謝です。クリスチャンとしての働きがより豊かに、実りあるように清和学園という温室を抜け出した私も清和に繋がるものとして、清和学園の発展とそこで学ぶ子供達が、将来御言葉を受け入れて信仰の道を歩むことができるように祈っています。
学校も教会も家庭も神様に導かれ、主の交わりの中に祈り合うことができる場として、日々を過ごすことができるならどれほどに心の安らぎを得ることでしょう。特に最近の社会状況の中にあって、若者、いや若者だけでなく、人々の心がギクシャクした状態が平安へと導かれるためには神様を知ることから始まると思います。先日も清和学園の卒業生がご自分のお子様を清和女子中学校へ入学させたのでということで南与力町教会の礼拝に子供さんを連れて来てくれました。新しいモダンな教会に驚き、賞賛の言葉と共に「私達の時は、木造でここに大きなストーブがあって、皆でワイワイとストーブに当たりながらおしゃべりをしたよね」と思い出を語ってくれました。「若い時に創り主を覚えなさい」この御言葉のごとく大きな働きを担っている清和学園に集う生徒達の神様の豊かな導きを祈ります。