2007年7月1日(日)すべてを神さまにゆだねて
おはようございます。山脇栄子です。
今朝は聖書のマタイによる福音書6章の25節をお読みしたいと思います。「自分のことで、何を食べようか、何を飲もうかと、また自分の体のことで、何を着ようかと、思い悩むな、命は食物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか」という箇所を覚えましょう。
今日、初めて聖書という言葉をお聞きになられた方もいらっしゃるのではないでしょうか。天地創造の神様のことが書かれている聖書は、読む人には大きな慰めと勇気が与えられます。今日お読みいたしましたマタイによる福音書6章25節〜35節は、私が読む箇所でいつも心の中に思い浮かべる聖句です。「空の鳥を見なさい 野のゆりを見なさい 働きもつむぎもしないのに神様はそれぞれに育てられているではないか、まして人々にはそれ以上に愛し、必要な物を与えて下さっている。まず神の国と義を求めなさい明日のことを思い悩むな、その日の苦労はその日だけで十分である」と書かれています。
その日のことはその日だけで十分である。そうです、明日のことをいろいろ考えて思い悩んでしまうことは、毎日の生活の中で当然繰り出される事柄です。しかし、明日が私達に来なければどうなるでしょうか。この地上での生活は今日でおわりですよ! と言われた時に、人はどのような行動をとるのでしょうか? 病気や交通事故、自然災害、様々なことが考えられます。人は明日また目覚めて朝日と共に自分の体が自由に動くことを信じて生活しています。だれも明日の朝を迎えることがないと日々思って眠りに入るでしょうか?
私は最近明日はどうなるだろうかという不安な毎日を送らなければならない事態に直面しました。心臓のバイパス手術を受けることになってしまったのです。いとも簡単に説明をして下さる医師のことばをそのまま受け入れ、手術後2週間もすれば自由に動けるものと思っておりました。手術そのものも2〜3時間もすれば終了し、自分の部屋にかえってくることができると気楽にその日を迎えました。
手術室に入り手術台の上に横になっている私は麻酔薬で眠っていますので、何がどのようにして、何時間の手術が行われているのか全然わかりません。目が覚めた時には、あちこちに点滴の管だらけ、歩くことも立ち上がることもできない自分の状態を、自分で納得することに時間がかかりました。しかし、私を見ている家族はとても不安でした。手術前から手を貸すことはできず、このまま目を覚まさないのではないだろうかと非常な不安を覚えたと後日聞かされました。
医学の進歩と共に心臓のバイパス手術はこともなく簡単に行われていますが、実際はとても大変な手術です。心臓が止まってしまうと、人は死を迎えます。人間の体の中心にある心臓の手術をすることは、私には明日があるだろうかと思ってしまうのが普通ではないでしょうか。しかし、神様は私達の身体一つ一つを本当に綿密に計画され、お創りになられたことがよくわかりました。今まであまり深く考えたことのなかった私は自分の手術を通し、神様がいかに一つ一つ丁寧に、そして他の箇所が弱ってもそれを補っていく身体の仕組みのすばらしさを考える機会を与えられ、心から感謝いたしました。
旧約聖書詩編55編23節には「あなたの重荷を主にゆだねよ、主はあなたを支えて下さる、主は従うものを支え、とこしえに動揺しないように計らって下さる」と示されています。私達は全てを神様にゆだねて、よきようにして下さる神様を信じて歩むなら、きっときっと支えて下さり、とこしえに守って下さると約束して下さっています。多くの困難に悩み、不安を抱くことのないように、すべて神の前に祈って歩んでいきましょう。