2007年5月6日(日)聖霊を求めて祈ろう
おはようございます。安芸にあります芸陽教会の宮武輝彦です。
先月は、イエス・キリストの復活を覚える、イースター礼拝がキリストの教会ではささげられました。イエス・キリストは十字架の死から復活されて、弟子たちに度々現れてくださり、復活から40日目に弟子たちの見ている前で天に上げられていきました。
聖書には、イエス・キリストが復活された一週のはじめの日に、弟子たちのいる直中に「平安あれ」と言って現れたことが書かれています。そして、イエス・キリストは十字架上で受けられた手と脇腹の傷痕を弟子たちに示されたのでした。この時、弟子たちはこのイエスを見て、喜びにあふれたのでした。今、わたしたちは、この弟子たちのようにイエス・キリストのお体に触れることはできませんが、聖書のみ言葉によって、イエスさまご自身からのみ声を確かに聞くことができます。このイエスさまからのみ声を確かに聞かせてくださるのが、助け主である聖霊の働きです。
イエス・キリストは、十字架にかけられる前にこのように約束されました。「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」(ヨハネ14:16)と。
この父とは、イエス・キリストをこの世の中に遣わしてくださった父である神さまのことであり、この父である神さまが、弁護者である聖霊を遣わしてくださる、と約束されたのです。この聖霊の働きによって、わたしたちは、イエス・キリストの十字架においてなし遂げられたすべての恵みに、今、ここで、あずかることができるのです。そして、特に聖霊のお働きは、聖書の言葉に聞くことと、お祈りをささげることによってよく覚えられます。
わたしたちは、しばしばどのように聖書の言葉に聞けばよいのかわからなかったり、どのようにお祈りをしたらよいのかわからなくなることがあります。そのような時にも、聖霊はわたしたちの言葉にならない思いの底までもよく知ってくださり、聖書の言葉とお祈りの心を与えてくださるのです。
イエス・キリストの福音を世界中の人々に宣べ伝えたパウロという人は、こう言いました。「霊も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるのです。」(ローマ8:26)と言いました。
わたしたちが何に悩み苦しんでいるのか、自分で言葉にできないときにも、そのうめきの心に最も近い御方が、イエス・キリストの遣わしてくださる聖霊なのです。ですから、わたしたちがこの御方にわたしたちのすべてを明け渡していくとき、祈りの思いをイエス・キリストの救いにあずけることができるのです。
イエス・キリストは、祈り方を知らない弟子たちにこのように教えてくださいました。「あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうかまた、卵を欲しがるのにさそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカ11:11-13)
天の父である神さまに、聖霊の言葉と祈りの心を求めましょう。そうするとき、神はわたしたちに聖霊を与えてくださり、聖書の言葉に聞き、イエス・キリストの救いにあずかるように、わたしたちを導いてくださいます。
今日も、イエス・キリストからの祝福と恵みがかぎりなくあなたと共にありますように心よりお祈りいたします。アーメン。