2007年2月4日(日)縦のつながり、横のつながり

おはようございます。山下正雄です。
わたしがまだ学生だった頃、十字架の形について面白い話を聞いたことがあります。十字架は文字通り縦と横の木を十文字に組み合わせた形をしています。縦の棒はまるで神様のいらっしゃる天と人間が住む地上を結ぶように垂直方向に伸びています。横の棒は人と人とが手を繋ぐようにと水平方向に伸びています。まさに、十字架は神と人とを結び、人と人とを結ぶ形をしていると言うのです。
もちろん、聖書の中に十字架についてそんな例えや解釈が出ているわけではありません。しかし、なるほどと思わされるものがありました。そもそも聖書の教えは神と人、人と人とにかかわる教えです。

イエス・キリストは最も大切な戒めはどれかと尋ねられた時にこうお答えになりました。
「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」(マルコ12:29-31)
「神を愛すること」と「人を愛すること」、この二つの戒めが最も大切な教えであるとイエス・キリストはおっしゃるのです。

ところで、第一の教えである「神を愛すること」と言うのは、縦の矢印がわたしたちの方から神様の方へ向かって伸びているように思われます。しかし、新約聖書のヨハネの手紙一の4章10節はこう言っています。
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(1ヨハネ4:10)
十字架の縦の棒は、地上から天へと伸びているのではありません。むしろ神の側から地上へと差し伸べられているのです。罪と悲惨の中にあるわたしたちに向かって神は救い主である御子イエス・キリストをお遣わしくださったのです。わたしたちが神を愛する愛に先立って、神の愛がすでにわたしたちに豊かに注がれているのです。この神からの先立つ愛に応えて、神を愛することが大切なのです。

ところで、先ほど引用したヨハネの手紙はさらに続けてこう述べています。
「愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです」(1ヨハネ4:11)
神からわたしたちに向かう愛に促されて、当然、神を愛することが勧められるのかと思えば、そうなのではありません。神がわたしたちを愛してくださるのですから、「わたしたちも互いに愛し合いましょう」と勧められているのです。十字架の横棒は人と人と結ぶように水平に伸びていますが、それは神から愛されているからこそ横に広がることのできる愛なのです。

以前、『ペイ・フォワード』という映画を観たことがあります。この世の中を良くしていくには、という宿題を与えられた子供が考え出した運動です。受けた恩を「ペイ・バック」…恩返しするのではなく、ペイ・フォワード、誰かにそれを先渡ししていくことで、世の中を良くしようと考えたのでした。
神はわたしたちを愛してくださいました。神はその愛をわたしたちがペイフォワードすることを望んでいらっしゃるのです。神がわたしたちを愛してくださったように、わたしたちも互いに愛し合いましょう。