2007年1月7日(日)生ける真の神

おはようございます。高知教会の久保浩文です。
皆様、神様のお恵みの下に新しい年をお迎えになられたことでしょう。「一年の計は元旦にあり」という諺のとおり、多くの方が、新しい一年の抱負または年間計画のようなものを大なり小なりたてられたことと思います。また、今年こそは、長年の夢を実現させようと様々な期待と希望をもって、新しいスタートを切った方もいらっしゃるでしょう。

私達人間は、何か新しいことを始めようとしたり、新たな夢に向かって歩み始めるとき、多少の苦労は厭わず、むしろ、積極的に喜んで、目標を達成するための様々な努力を惜しまないものだと思います。しかしその最後には「人事を尽くして天命を待つ」となり、これまで努力してきたこと、精神を傾けてきたことの成功を願って神仏にすがる、というのが私達日本人のパターンではないでしょうか。

毎年、年の初めのニュースの一つとなるのが、お正月三が日の「初詣」の人出です。日本中の神社仏閣がこの時期には「芋の子を洗う」という程の大勢の人の波でごった返しています。年配の方たちは、無病息災とか家内安全とか、皆が平穏無事に一年を過ごせますようにと祈り、受験生は志望校への合格を祈願します。それぞれが絵馬に願い事を記して奉納したり、賽銭箱に夢を託したりしています。これを見る限りでは、私達日本人は、比較的信仰心に篤い国民と言えるかもしれません。
しかし、そこで礼拝の対象とされている神とは、何でしょうか。マルクスという人は、「神というものは、実は人間自身の空想的反映なのである。現世は涙の谷で苦しいから、人間はこの幻想界に逃避して慰安を求める。」と語り、神とは、私達人間が、現世の様々な苦しみ、悲しみから逃れるために人間の空想によって作られたもの、考え出されたものであると指摘しています。確かに、日本の国は、いわゆる神々と呼ばれるもので溢れていて、しかも、学問の神様、子宝の神様、安産の神様、というように、それぞれ目的に応じて役割分担がなされているようです。その大半は、マルクスのいうように、人間の欲望、願望をかなえてくれる、人間の空想的反映とも言えます。

しかし、神の言葉である聖書によると、「世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。現に多くの神々、多く主がいると思われているように、たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても、わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰っていくのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。」と記されています。真の神は、唯一の生ける神であられ、私達と周囲のものはすべて、この神の御手によって生命を与えられ、生かされているのです。そしてこの神は、ご自身が命を与えた礼拝者と、生きた人格的な交わりを持って下さる方です。この唯一の生ける真の神は、キリスト教会において信じられ、礼拝されています。年に一度の「神頼み」ではなく、人生のあらゆる時を、終始、片時も離れることなく、大いなる御手でもって支え、守り導いて下さる御方なのです。