2006年11月26日(日)真心から

おはようございます。山田教会の泥谷ちひろです。

イエスさまがおられた頃、ある時、ある一人の律法の専門家が質問をしたことに対してイエスは言われました。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。「隣人を自分のように愛しなさい。」と、旧約聖書の有名なモーセの十戒を要約して第一の掟を神さまに対してとし、第二の掟を隣人に対してと言われました。説明しなくても、じっくり考えれば解ることばですが、常に実行することは非常に難しいことです。
コロサイの信徒への手紙3章22節と23節では、これは奴隷に対してのことばですが「人にへつらおうとして、うわべだけで仕えず、主を畏れつつ、真心を込めて従いなさい何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。」と言っております。奴隷といえば耳ざわりのよいことばではありませんが、主に対してするように、即ちよい主人であるイエスさまに仕えるようにということ、よい奴隷、即ち素直に従い仕える信者たちのことを思い浮かべて下さい。

アンクルトムズキャビン=トム小父の小屋という小説を読まれた方がおられるでしょうトム小父は奴隷として主人におく仕えました。又、立派なクリスチャンでした。トム小父は心から神を信じ、主なる神に対するように主人に心から仕えた人です。

ここであなた方の中で結婚している人、または、今から結婚しようと思っている人のことを考えて見ましょう。結婚したいと思っている時期には、男性でも、女性でも、どれほど相手を愛しているかを表すために、真心を込めて、女性であれば、服を縫ってあげたりマフラーを編んだり、おいしいお料理やお菓子を作って食べてもらったりするでしょう。
男性であれば彼女の好きな所に連れて行ってあげたり、おいしい店に案内したり、アクセサリーを買ってあげたり、日常のことで何くれとなくお互いに相手を喜ばせようとします常に自分のことより相手のことを考えてします。そして一生懸命の時には嘘はなく純粋にそうします。中には見せかけの親切で相手を得ようとする悪い人もいますが、それは別として、殆どの人は自己中心の所は全くありません。純粋な愛を真心から捧げます。

ところが、年月が経つとどうでしょう。ふとした入れ違いから不信に陥り、こんどは自分中心に考えるようになり相手への真心からの愛はどこへ行ったのやら、ということになっていないでしょうか。私はみんながみんなとは申しませんが、信仰をもっていない人は殆どの人がそうなのです。真心からの愛は自己犠牲が伴っています。しかし年月が経つと自己犠牲の気持はどこへ行ったのか、今度は自己中心になってしまっています。

結婚生活だけではありません。社会生活においても自分の責任を充分に果し、心から仕えることは大切です。親子の間でも心から愛し合える親子関係があればどんなに素晴らしいことでしょう。
真心から神さまを愛して日曜日の礼拝を守っていると,みことばの説教を通してそういう気持は自ずから培われてくるのです。
あなたもそのようになることをお望みになりませんか。是非教会の門を叩いて下さい。あるいはお近くで行けるよい教会を紹介してもらって下さい。

神さまの祝福をお祈りいたします。