2006年10月22日(日)名誉に先立つものは
おはようございます。山下正雄です。
旧約聖書箴言の18章12節にこんな言葉があります。
「破滅に先立つのは心の驕り。 名誉に先立つのは謙遜。」
「予兆」という言葉があります。予め現われる兆しのことです。「前兆」ともいいます。悪いことの起る前ぶれが分かっていれば、災難を避けることが出きます。よいことの起る兆しを予め知っていれば、幸せを手に入れることができます。しかし、大抵は事が起った後になって、「あの時あんなことがあったのは、このことの前兆だったのだ」と過去を振り返り残念がるものです。
さて、きょう取上げた箴言には破滅の前兆と名誉の前兆が記されています。これは心に留めておくべき大切な言葉です。人生の破滅に至らないために、何を気をつければよいのでしょうか。名誉に与るためにはどんなことが大切なのでしょうか。
きょうの箴言は言います。
「破滅に先立つのは心の驕り。 名誉に先立つのは謙遜。」
破滅の前には心の驕りがあると箴言は指摘しています。この心の驕りという罪の最たるものは、人間の堕落を描いた創世記の記事に早くも登場します。
最初の人間アダムとエバは神から禁じられた木の実を食べて罪を犯し、堕落したと聖書は記しています。そのときサタンが人間をそそのかした誘惑の言葉はなんだったでしょうか。それは「それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなる」というものでした。
「神のようになる」という思い上がった考えこそ、人を破滅へと導いた罪なのです。以来、人は人の上に立ちたがり、神のように振る舞い。神のように崇められることに快感を感じるのです。
けれども、その傲慢で思い上がった考えこそ、人生に破滅をもたらす前兆だったのです。傲慢な思いから解放されるのでなければ、破滅から逃れることはできません。
また、この箴言はもう一つの前兆についても記しています。それは名誉の前兆です。名誉の前には謙遜があるとこの箴言は記しています。謙遜は傲慢の反対語です。
神の名誉を横取りしようと傲慢な思いを抱いた人間はかえって破滅の道を歩みました。しかし、まことの名誉を手に入れたいと願うなら、謙遜の道を歩む羽ことが大切なのです。
この箴言よりもずっと後に書かれたパウロの手紙、フィリピの信徒への手紙の2章3節以下にはこう記されています。
「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」
さらに続けてパウロは、「それはキリスト・イエスにもみられるものです」と述べて、キリストの示してくださった謙遜の模範を記しています。
最初のアダムは傲慢のために破滅の道を歩みましたが、第二のアダムであるキリストは十字架の死に至るまで徹底した謙遜の道を歩まれました。「このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました」と聖書には記されています。
傲慢からは何も良いものが生まれてはきません。むしろ、キリストのみあとに従って、謙遜の道を歩み時にこそ高く挙げられ、神から誉れを授けていただくことができるのです。