2006年9月10日(日)命を大切にしましょう
山田教会牧師、泥谷逸郎です。
すべての命を大切にしましょう。植物の命も動物の命も人の命も大切にしましょう。なぜなら、すべての命は神さまが造られたものであり、神さまのものだからです。
イエス・キリストがお示しになっている、まことの神さまはこう言われます。「神は天を創造して、これを広げ、地とそこに生ずるものを繰り広げ、その上に住む人々に息を与え、そこを歩く者に霊を与えられる」と。
このお言葉の意味はこうです。「私こそは天地の造り主、人に命と霊を与えるものである」ということです。すべての命の中でも特に人の命は貴いのです。その理由は、人は神にかたどって造られているからです。植物の命も動物の命も神にかたどって造られてはいません。また、これらの命は、人の命を支えるために食用とすることが許されています。しかし、人の命は植物や動物の命を支えるために用いられることは許されていません。神さまは、聖書の中でこう言っておられます。「あなたたちの命である血が流される場合、わたしは賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。人の血を流す者は、人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。」(創世記9:5-6)
人の命は血にあります。ある人が他人の血を流すということはその人の命を奪うことです。これは殺人の罪にあたります。殺人は自殺と他殺の両方を含みます。これは「殺してはならない」という神さまの掟に背きます。神さまは、ご自分のかたちに造られている人の命を奪うことに対して激怒されます。それは、神さまの命を奪おうとするに匹敵する暴挙であり、冒涜だからです。動物であれ、人であれ、人の命を奪うものに対しては、神さまご自身が報復されます。
神さまは人の命を大切になさいます。ですから人もまた、神にかたどって造られている人の命を貴ぶべきです。人の命を貴び愛する人は、神さまを尊ぶ人でしょうから、命の源であられる神さまはその人にこの地上にあって長寿を祝福してくださることでしょう。
神さまは、人が滅びることを望んではおられません。かえって、すべての人が救われることを望んでおられます。神さまは預言者エゼキエルを通してこう言われます。「すべての命はわたしのものである。父の命も子の命も、同様にわたしのものである。罪を犯した者、その人が死ぬ。もし、ある人が正しく、正義と恵みの業を行なうなら・・・彼は必ず生きる。・・・イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と。
イエス・キリストがあなたも私も神さまに立ち帰らせてくださいます。そして、人の命を愛し、大切にすることができるようにしてくださいます。神さまの報復を受けるようなことをしてはなりません。命を大切にしましょう。