2006年9月3日(日)神はすべての人が救われることを望んでおられる
山田教会牧師、泥谷逸郎です。
神さまは、子供も大人も、すべての人が救われることを望んでおられます。ご存じのとおり、「救われる」という言葉は宗教の世界ではよく使われます。しかし、日常生活の中ではあまり使われない言葉ではないでしょうか。人は身体も魂も救われる必要があります。
イエスさまは、聖書の中で、「神さまは、すべての人が救われることを望んでおられます」と教えておられます。神さまは、どうして「すべての人が救われることを望んでおられ」るのでしょうか。それは、すべての人が、子供も大人も、皆死ぬようになってしまったからです。今では、人の死は非常にあっさりと片づけられているような印象を受けます。死を恐れるということはほとんど見られません。大声をあげて死を泣き悲しんでいる姿も滅多にみないように思います。
ところで、イエスさまは、「私はあなたがたを死から命へ救い出すために天から来た」、と言われます。また、イエスさまはこうも言われます。「わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった神を信じる人は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている」と。イエスさまのお言葉を聞いて、イエスさまを遣わされた天の神さまを信じる人は永遠の命を受けます。また、裁かれることもありません。さらに、キリストを信じるようになれば、神さまはあなたを死から命へ移してくださいます。
イエスさまがわざわざ天から遣わされて救ってくださらなければならないほど、死ぬということは恐ろしいことです。今日、多くの人が死の恐れに対して不感症になっています。死は、私たちの罪の思いと行いに対する神さまの罰の現われです。イエスさまにより頼まない人は、神さまのこの恐ろしい裁きと罰を逃れることができません。だから、死ぬことは恐ろしいのです。イエスさまは、この恐ろしい死の罰から、あなたや私を命へと助け出してくださるために来てくださいました。聖書はこう言っています。「この方は、(これはイエスさまのことです)すべての人の贖いとしてご自身を献げられました」と。ここで言われていることを簡単に説明しましょう。
これは、「あなたや私を助け出してくださるために、イエスさまが代わりに私たちに下る死の罰を受けてくださったという意味です。イエスさまは、私たちに代って死の罰を受けてくださっただけではありません。イエスさまの復活の命を持つようにしてくださいました。聖書に、「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです」(ローマ4:25)とあります。イエスさまを信じる信仰のゆえに、神さまが義としてくださる人だけが救われます。
生まれたままの人は、すべて神さまの怒りのもとにいます。だから死ぬのです。神さまが、あなたは父母を敬え、目上の人を敬え、友人たちを尊べ、目下の者を愛せよ、と言われていることに従わないからです。この不従順のゆえに神さまの怒りは私たちに向けられます。この怒りをまともに受けて生き残ることができる人は一人もいません。そこで、神さまは私たちへの愛のゆえに、この怒りをイエスさまに被せて罰し、私たちを赦してくださるようにしてくださいました。
この嬉しい赦しの福音がすべての人に伝えられています。それは、神さまがすべての人がイエスさまを知り、神さまの救いの愛をいただくためです。この救いの招きは、あなたにも私にも、世界中の人々に呼びかけられています。きょう、神さまはイエスさまを通して、この放送を聴いてくださっている皆さんにも呼びかけておられます。神様は、あなたが滅びることなく、救われることを切に望んでおられます。