2006年8月6日(日)人を癒す言葉
おはようございます。山下正雄です。
旧約聖書箴言の12章18節にこんな言葉があります。
「軽率なひと言が剣のように刺すこともある。 知恵ある人の舌は癒す。」
ちょっとした一言が人を傷つけてしまうと言うのは、古今東西どこの国でもあることです。あの一言さえ言わなければよかったのに、と後悔することのなんと多いことでしょうか。舌についての教えは日本でも数多く目にします。
昔から「舌は禍の根」といわれています。相手を傷つけるばかりか、回りまわって自分にも禍をもたらしてしまうものだと考えられています。だから、舌の失敗は失敗した本人がそのことで苦しむことが多いのです。鎌倉時代の仏教説話『沙石集』(しゃせきしゅう)には「舌の剣命を絶つ」と言う言葉があります。ここでも、旧約聖書の箴言と同じように舌は剣に例えられています。それは相手を傷つける剣であると同時に自分の命さえも危うくしてしまう剣なのです。こんな小さな器官に過ぎない舌が、人を立ち直れないくらいに傷つけてしまうとはなんと恐ろしいことでしょうか。それは巡り巡って、自分の命さえも危うくしてしまう凶器なのです。しかも、その凶器を生まれながらにして人は皆持っているのです。
しかし、凶器である舌を引っこ抜くことが聖書で求められていることではありません。むしろ、その凶器である舌をコントロールする力こそが求められているのです。だからこそ、舌を制することができる人は賢い人なのです。新約聖書のヤコブの手紙には「言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です」(3:2)とさえ言われています。
しかし、舌を制して言葉を慎むということは、ただ黙っていると言うことではありません。もちろん、黙っていると言うことが大切な時もあります。けれども、ただ黙っていて自分が禍に巻き込まれないようにすると言うだけでは足りないのです。
最初に紹介した箴言の12章18節には、「知恵ある人の舌は癒す」と記されています。何かを言わないことではなくて、必要に応じて誰かを癒し、誰かを建て上げていく言葉こそ、知恵ある者にふさわしい言葉です。
優しい言葉で傷ついた人を包み込むことも大切です。励ます言葉で意気消沈している人を奮い立たせることも大切です。ときには厳しい言葉で人を諌めることさえ大切な時もあります。知恵ある人の言葉は人を癒し、人を建て上げて行く言葉なのです。それは愛から出る言葉にほかなりません。
新約聖書エフェソの信徒への手紙の中でパウロはこう記しています。
「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。」(4:29)
聞く人の徳を建てあげ、聞く人に恵みをもたらし、聞く人を人として完成させていくことができるように言葉を語る必要があるのです。破壊的な言葉が横行するときにこそ、癒す言葉が求められているのです。
では、どのように語る言葉を訓練することができるのでしょうか。パウロはこう祈っています。
「信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。」(3:17)
心のうちにキリストを住まわせ、キリストの愛にしっかりと根ざすときに、破棄する言葉から解放されて、癒す言葉に聡い者とされていくのです。