2006年7月9日(日)「どうにもならない私」
私は清和学園で教師をしていました門脇昭です。私は終戦後、友人のすすめもあり愛媛県立高等農林学校農学科、現愛媛大学農学部に入学しましたが、どうも自分自身に自信がなくなりよいことをしようとしても、悪の道にかたむいてしまう、自分が嫌になり、不登校になりました。学校側ははげます意味でしょう、1学年の終わりの成績を掲示しましたが、それをみると120人中119番でした。どうにもならない状態でした。
私は母親に「学校はつまらんし、自分自身も嫌になった、家に帰って百姓をしたい」と手紙を書いてだしました。それに対して母親から葉書が届きました。それには2つのことがかいてありました。ひとつは『お前のために毎日祈っている』もう1つは『教会に行きなさい』でした。
私は2学年の新学期から教会の礼拝に出席するようになりました。そこで人は皆罪人であり、罪の解決は神様が一人子イエスをこの世に送ってくださり、贖いの死をとげてくださったことによるとあらためて悟らされました。信仰の先輩たちにはげまされて教会生活をしていくと、学校も面白くなり、勉学にはげみがつき、成績もあがり、卒業時には順位は40番以内にはいり、当時文部省発行の教員免許状がえられ、教員の資格が出来ました。教会では洗礼をうけクリスチャンとなりました。それらが基礎になって清和学園の教員になり、理事の期間をくわえると40年関係しました。創立100周年記念行事を終えて退任させていただきました。100年の中の40年関係させていただき感謝です。
神に従う者にとってすべてのことをよきに導いてくださることを実感しています。どうか神に従う人になってください。おすすめします。