2006年7月2日(日)「信仰に入る動機」
私は山田教会の長老の門脇昭です。私は小学校2年生のとき、郷里の土佐山田町下の村という、高知平野の東端、物部川に接するところに移り住みました。水田の中の二軒屋で、隣の集落までは300メートルほど離れていました。そのような自然の中で育ち、創造主なる神を感じていましたが信仰をもつには至りませんでした。
そして私は旧制中学校5年生、17歳、今で言えば高校2年生のとき、陸軍士官学校に合格しました。そのことで皆さんに喜んでもらいました。そこで私の尊敬していた、教会の長老であった伯父に喜んでもらえると思って報告に行きました。ところが伯父は真顔になって、開口一番「おまえは人殺しの勉強にいくのか」「これを読んでみよ」といって、印刷も装丁も悪い新約聖書を突きつけられました。私はその聖書を自宅に置いて士官学校に入学して8ヶ月、終戦の日8月15日を迎えることになりました。その時、同期生達は悔し涙を流しました。私はどういう訳かわかりませんが、幼少の頃日曜学校でならった聖書の言葉『神は愛である』『途方にくれても失望せず』の言葉がでてきて、涙は出ずに、よしこれからだという気持ちが体からわいてきました。
私は伯父からもらった聖書を、何回もばらばらになるまで読んで、これだと思って求道を始めました。紆余曲折はありましたが、19歳の学生時代に松山で罪を悔い改めて、イエスを救い主と信じて信仰生活にはいりました。それから60年ほんとうに恵まれました。感謝です。その間聖書を土台にすえたクリスチャンスクールで教育にたずさわって30年、多くの信仰をもって活躍している卒業生を与えられて、大変嬉しく思っています。
さらに晩年私のように1冊の聖書が救いをもたらすことを願いながらギデオン協会のメンバーの一人として聖書贈呈運に参加させてもらっています。感謝です。
神は愛であります。真の神を信じて、うけいれ、喜びの生活を送ってください。お勧めします。