2006年6月18日(日)「地の塩」
おはようございます。山脇栄子です。
今朝はマタイによる福音書5章13節「あなたがたは地の塩である。だが塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味がつけられよう、もはや何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。」を見てみましょう。
ラジオをお聞きの皆様は、聖書を手にして毎日読んでいらっしゃる方もおいででしょうし、また、一度も手にしたこともない方もいらっしゃることでしょう。私は高校生になって初めて聖書というものを手にし、神様がいらっしゃるということを知りました。そして三カ年の間に聖書の中に自分自身の歩み方を示してくれる聖書の言葉、つまり心動かされる多くの言葉を見つけ、私達一人一人は、神様の計画の元に生かされ、愛されていることを学びました。
今日読みました"あなたがたは、地の塩である"という所は高校三年生の最後のホームルームで一人一人が好きな聖句や讃美歌を選び、自分の将来のことを語り合った時に私の選んだ聖句です。"塩のような生き方"を世の多くの人々に必要とされる生き方をしようなどと生意気に考えたものです。今考えると恥ずかしい限りですが、まだこれから先何が起こるかわからない希望に燃えた一歩を歩み出そうとしている高校三年生の時は、すべてが自分の思ったようになると考えていたのでしょう。高校を卒業して何十年か経ち、振り返ってみると潮の働きどころか、教師として働きを与えられていながら、子供達の心を塩づけにしてしまい、枯らしてしまったことの反省ばかり浮かんできます。
塩は大切な食物です。塩がなければ生きていくことができないほどの大切な物ですが、塩味が適度なものでなければその味は苦くなり、また、塩辛くて食べることができないし、塩を多く摂り過ぎると、成人病となり、苦しい生活をしなければなりません。しかし、食物を保存したり、おいしいお饅頭の餡この味は塩味がなければ、甘さが出てこないし、美味しい餡こにはなりませんし、言葉としても塩味のきいた言葉を使いなさいなどといわれます。塩は大切なものですが、使い過ぎてはその役目を果たすことができません。塩の役割を果たすことができなければ、捨てられて人々に踏みつけられるだろうと書かれています。世の中の働きとしてなくてはならないものでも、その使い道を謝ってしまうと害になるということには、十分注意しなければならないでしょう。
田舎では大きな樽の中に保存食として、多くの漬物を作ります。それぞれの家庭のそれぞれの作り手の塩の一振りによって、その漬物は美味しい漬物となり、その味によって、これは〇〇さんの作った漬物だとわかります。私達も自分の塩加減を持った生活を心がけたいものですね。甘い言葉の中に塩で味つけされた甘さを引き締める言葉が入ると、その人の発言はすばらしい言葉や、行いとなることでしょう。子供が大きくなっていく時にそれぞれの家庭の味つけ、つまり塩の一振りによって、その子供は良いことと悪いことの判断をしていける子供に成長していくことでしょう。
塩味のない甘いだけの味つけしか知らない子供は、ブレーキをかけることを知らないことと同じで、どんどん自分の我が儘を要求し、その要求はどんどん脹れあがって、大きな社会問題にまで進んでしまう行動に変わってしまうのではないでしょうか。今の世の中の乱れは、塩味を忘れた甘い甘い食物ばかりで育った子供達の姿ではないでしょうか。塩で味つけする生活を忘れないようにしたいものです。