2006年6月11日(日)「罪のないものがまず石を投げなさい」
おはようございます。山脇栄子です。
今日の聖書はヨハネ福音書8章の4節から少し長いですが読まさせて頂きます。「イエスに言った。「先生、この女は姦通しているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」
この箇所は、律法学者が姦通をした女に対してイエス様がどのような判断を下されるか、それによってイエスキリストを訴えようとする下心があったわけですが、今日はその事がらよりもまず、この女と周囲の人々に目を向けてみたいと思います。群衆がイエス様にこの女を、この罪を犯した女をどうするつもりですか、旧約時代のモーセはこのような罪を犯した者に対しては、石で打ち殺しなさいと言っています。イエス様あなたはどうするのですか?しかしイエスはそこでじっと地面に何か書いておられ、しばらくすると顔をあげて「あなた方の中で罪がない者からこの女に石を投げなさい」と言われました。
あなた方の中で罪がない者から石を投げなさい。これは非常に厳しい言葉です。そうするとその群衆の中から、老いた者から順に一人去り二人去り、とうとう女とイエス様だけ取り残されたこの場面を頭の中で描いてみて下さい。罪のない者から石を投げなさいと言われた群衆は、自分の罪を認めたわけですよね。そして老いた者、つまり多くの場面で罪を重ねてきた年長者は、罪の深さと共に今何をしなければならないかの判断をすることのできる人達です。だんだんと自分がこうして女の罪を責め立てていることが、恥ずかしくなってきたのでしょう。年老いた者がさる、これも勇気のいることですね。自分の罪を認めるということですから、勇気を出して、私は罪深いものです、とてもとてもこの場で女の罪を攻め立てる値打ちのある者ではないことに気がついたのです。皆が去って行ってしまった後に遺された女に対してイエス様は「女よ、私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからはもう罪を犯してはならない。」とおっしゃりました。
女はどうしたでしょうか。自分の罪に対してだれも石を投げつけない上に、イエス様まで、もう罪に問わない、そして繰り返し二度と同じ罪を犯さないように、行きなさいと言われた女は、ただただその場所に呆然と立ちすくんでいたのではないかと想像します。自分が生きるか死ぬかわからないこの場にあって、石で打ち殺されることもなく、そして罪を咎められることもなく、行きなさいと言われたイエスの愛の深さと共にこのイエスによってのみ、罪を赦されイエスキリストが私達の罪を担っていて下さることの大きな、深い愛を知らされた。この女はつまり私達なのですね。イエス様が十字架にかかり、私の身代わりになって罪を担ってくれることに感謝して、自分の罪を悔い改める生活を送りたいものです。