2011年7月13日(水) 献花について 神奈川県 ティーさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会がお送りするBOX190。ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は神奈川県にお住まいのティーさん、女性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。
「山下先生、はじめまして。毎回ネットで番組を聴いていますが、いつも興味ある内容で楽しみにしています。
さて、先日、サークル活動で長年お付き合いのあった方が亡くなり、友人と一緒にお通夜に行って参りました。亡くなられた方はクリスチャンの方でしたので、式は教会で行われました。わたしはクリスチャンではない上に、キリスト教式のお通夜に参列するのは初めての経験でしたので、勝手がわからず、何を持って行ったら良いのか、一緒に行った友人と悩んでしまいました。ネットで調べて、『お花料』というのを包むらしいと知り、早速、文具店に袋を買いに行ってみました。確かに十字架の付いた『お花料』と書いた封筒が置いてありましたが、立派な水引のついたものしかなく、少し仰々しい感じがしました。クリスチャンの方はみなさん、このようなものを使われているのでしょうか。
それから、式の終わりに献花をしましたが、みなさん、花の方を御遺体に向けて捧げていらっしゃったのですが、普通は茎の方を御遺体に向けて捧げるのがマナーではないかと思いました。キリスト教では、何か特別なマナーがあるのでしょうか。疑問に思いましたので、こちらに質問させていただきました。よろしくお願いします。」
ティーさん、いつも番組を聴いてくださってありがとうございます。日本ではクリスチャン人口が全人口の1%にも満たないということですから、キリスト教の葬儀に参列する機会はとても少ないのではないかと思います。亡くなられたご本人がクリスチャンであっても、遺族の方が違う宗教の場合、必ずしもキリスト教式で葬儀を行うとは限りませんから、日本でキリスト教の葬儀に参列する機会はめったにないのかもしれません。そういうこともあって、クリスチャンでない方にとって、キリスト教式の葬儀は戸惑うことが多いと思います。
さて、お便りに出てきたのは、「お通夜」での出来事ですが、実はキリスト教では「お通夜」という言葉はあまり使わないように思います。普通は「前夜式」という用語を使います。
では、世界中のキリスト教会で「前夜式」は普通に行われるのか、というと、実はわたしにも自信がありません。もしかしたら、「前夜式」という用語は「お通夜」の習慣がある日本で生まれた特別な用語かもしれません。わたし自身、海外のキリスト教会で葬儀に参列したのは一度しか経験がありません。その時は、前の日の夜にご遺族の方を訪ねた記憶があります。しかし、そこで特別な式があったというわけではありませんでした。こうした習慣は、同じキリスト教でも国によってかなり違うのではないかと思います。ちなみにわたしが経験した海外でのキリスト教の葬儀というのは、19世紀にオランダから移民してきた人たちのコミュニティが主体となったキリスト教会でのことでした。
さて、これがキリスト教の習慣だと、必ずしもいえないものに、「お花料」も含まれます。これもわたしの推測ですが、日本的な香典の習慣をキリスト教風に改めたものが「お花料」ではないかと思います。「香典」というのは、もともとは死者の霊前にそなえる香にかわる金銭でした。それで、今でも香典袋には「ご霊前」と薄墨で書かれたものが用いられています。
しかし、今では香に変わる金銭ではなく、むしろ、葬儀にかかる費用の負担を少しでも担いあうための儀礼的な習慣といってもよいかもしれません。
そこで、単に儀礼的な習慣であるのであれば、葬儀に際してお金を包んで渡すことにキリスト教会があえて反対する理由はないのですが、その際に使われる用語が宗教的な意味合いをもっていることが問題なのです。そこで、「香典」や「霊前」などの用語を避けて、あえて「お花料」などの用語を用いたものと思われます。キリスト教会では死者に対して何かをお供えするという習慣がないからです。しかし「お花料」がふさわしい名称かというと、これも死者に対してお花を捧げるための費用だという誤解を与えかねませんから、必ずしも良い名称とは言えないように思います。
ちなみに、アメリカのキリスト教会にはこのようにお金を包む習慣はありません。そもそもアメリカやイギリスでは葬儀費用自体が日本ほどかからないということもあるように思います。ですから、「お花料」が世界中のキリスト教会の風習だと誤解しないようにお願いします。
さて、ご質問の中に出てきた「献花」ですが、これもまたキリスト教的な起源を持つものではありません。先ほども触れましたが、わたしが海外で葬儀にでたのはたったの一度だけですが、やはり、献花はありませんでした。それは改革派教会や長老派教の特徴なのかもしれませんが、葬儀も神を礼拝する機会というのが基本的な考えですから、あまりそこに儀礼的なものを持ち込んだりはしません。日曜日の礼拝と同じようにシンプルなものでした。
しかし、日本の教会の場合、「献花」をするケースをよくみかけます。日本の改革派教会の牧師たちの間でも、「献花」については意見が分かれていますが、しかし、葬儀についての基本的な考えでは一致しています。つまり、葬儀は人の死に際してもたれる神を礼拝する機会であること、そして、その目的は残された遺族をキリスト教の信仰をもって慰め励まし、遺体を丁重に葬ることです。
葬儀は唯一まことの神を礼拝する機会であるということを強調する人たちにとっては、特に葬儀の中に異教的な習慣や考えが入り込むことを一番警戒します。極端な場合、花を一切置かない、個人の遺影も置かない、という徹底ぶりです。まして献花など、死者に対する礼拝を思わせるような行為は絶対に持ち込むべきではないという考えです。
では、「献花」を行うことを許す牧師たちの考えはどうなのでしょうか。まず、「献花」が死者に対するものではないという理解であることは言うまでもありません。ですから、「献花」の前にそのことを十分に説明してから献花をするように促します。最近では「献花」という言葉自体が誤解を生みやすいので、「飾花」(花を飾る)という言葉を使う人たちもいます。
では、なぜ「献花」あるいは「飾花」をするのか、という理由ですが、一つには遺体を丁重に葬る一環だという考えです。花を添えることが必ずしも異教的な習慣だとは言えません。
しかし、それよりも、もっと実際的な理由から行っているというのが本当ではないかと思います。キリスト教会で「献花」または「飾花」を行うのは、お葬式や前夜式の終りの部分です。仏教式のお葬式ですと、焼香をして、遺族の方に挨拶をして会場から出て行くという部分に当たります。こういう仏教式のお葬式に長年慣れ親しんできた人たちにとっては、どのタイミングで遺族の方たちに挨拶をしたらよいのか、何かのセレモニーがないと戸惑ってしまいます。そこで、そのタイミングを作るために、実際的な理由から「献花」または「飾花」を取り入れているのではないかと思われます。
そこで、ご質問の中に出てきた花の置き方ですが、キリスト教会ではその花が死者の為に供えられたという誤解を避けるために、茎を自分の方に向けて置くのではないかと思います。