2011年5月11日(水) イエスの父ヨセフのその後について 熊本県 K・Iさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会がお送りするBOX190。ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は熊本県にお住まいのK・Iさん、男性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。
「山下先生、こんにちは。いつも楽しく聴かせてもらっています。
さて、きょうはヨセフについて質問させてもらいます。イエスはヨセフとマリアの子ですよね。父となったヨセフは、その後どういう人生を送ったのでしょう。聖書を手にしながらふと思い、質問させていただきました。よかったら教えてもらえないでしょうか。」
K・Iさん、いつも番組を聴いてくださってありがとうございます。今年一月の放送で「イエスの母マリアのその後」について取り上げましたが、今回は父親のヨセフについてです。
まず、その後のことについて取り上げる前に、そもそも新約聖書のどこに、マリアの夫であり、イエスの地上での父親であるヨセフについて、その名前が記されているのか、そのことから見ていきたいと思います。
たいていの人が知っているヨセフは、マタイによる福音書の最初に登場する、マリアの婚約者としてのヨセフではないかと思います。まだ結婚する前にマリアが聖霊によって身ごもっていることを知って、密かに離縁しようとするヨセフです(マタイ1:18-19)。あるいは、ルカ福音書に描かれている、人口調査のために身重のマリアと共にナザレからベツレヘムまでやってきたヨセフです(ルカ2:4-5)。
これらイエス・キリストの誕生にまつわる話以外のところで、ヨセフの名前を耳にするのはほとんどないのではないかと思います。
ごくわずかの記事ですが、ヘロデ大王の難を逃れてエジプトに下っていたヨセフたちがナザレに移り住むようになったという記事の中に、再びヨセフの名前がマタイ福音書の中に記されています(2:19-23)。
それから、イエス・キリストの系図を記したマタイ福音書とルカ福音書のそれぞれの記事に、当然ですがヨセフの名前が記されています。ただし、マタイによる福音書1章16節は、ヨセフに至るまでの系図の書き方とは違って、ヨセフをイエスの父親であるとははっきりとは言いません。ヨセフはマリアの夫であって、マリアからイエスが生まれた、と間接的な書き方で記しています。
ルカ福音書の系図でも、奥歯にものが挟まったような言い方で、「イエスはヨセフの子と思われていた」という書き方です(ルカ3:23)。
確かにイエス・キリストのほんとうの父は、いと高き天の父なる神ですから(ルカ1:35参照)、地上の育ての親であるヨセフを「イエスの父」とはっきり呼ぶ個所はほとんどありません。わずかに、イエス・キリストが12歳の頃の記事を扱ったルカによる福音書2章48節に、マリアがイエス・キリストに対して「御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」と語った言葉が記されています。
もう一か所ヨハネによる福音書6章42節で「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。」と記されて、イエスがヨセフの息子と呼ばれ、ヨセフがイエスの父であると世間には知られていたことが分かります。それ以外の個所で、ヨセフのことをイエスの父と呼ぶ個所はありません。
さらにもう少し詳しく見てみると、パウロの書いた手紙の中には、ヨセフの名前は一度も出てきません。もっともイエスの母マリアの名前もパウロの手紙には一度も出てきませんから、どっちもどっちと言ってしまえばそれまでです。
しかし、マルコによる福音書の中に、ヨセフの名前が一度も出てきていないのはとても不思議に感じられます。もちろん、マタイ福音書やルカ福音書のようにイエス・キリストの誕生の次第までさかのぼって福音書を書きしるしていたとすれば、ヨセフの名前を記さなかったはずはないと思います。
それにしてもマルコ福音書の6章3節に出てくる人々の言葉は不思議です。
「この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか」
イエスの母親の名前や兄弟の名前、そして姉妹たちのことまで口に上げておきながら、父親については一言も触れていないというのは不思議な気がします。そんなことから、すでにもうこの時には、イエスの父親のヨセフは亡くなっていたのではないかとさえ憶測する人もいるくらいです。
ここまでを振り返ってみると、ヨセフについては、その後の人生どころか、そもそも知っていることの方が少ないと言ってもよいくらいです。
わたしたちがヨセフについて知っているのは、系図からダビデの家系であったということと、ヨセフの父親の名がエリ(ルカ3:23)またはヤコブ(マタイ1:16)であったこと。そして、マリアと婚約したけれども、マリアは聖霊によって最初の子であるイエスを産んだということ。少なくともイエス・キリストが12歳の時までは生きていたということ。さらにこれに加えてヨセフの職業が大工であったということくらいです(マタイ13:55)。
そして、大人になって活動をはじめたイエス・キリストの様々な話の中には、せいぜい名前が出てくるくらいで、実際の姿は一度も現れません。
十字架から引き下ろされたイエスの遺体を引き取って葬ったのは、ヨセフという人物ですが、イエスの父親のヨセフではなく、アリマタヤ出身の議員であるヨセフでした(マルコ15:43)。もし、父親のヨセフがその時に生きていたとすれば、当然父親が遺体をひきとったでしょうから、どんなに遅くとも、イエス・キリストが十字架にかけられるまでには、ヨセフは亡くなってしまっていただろうと考えられています。
では、いつ亡くなったのか、それはもはや憶測でしかものを言うことができません。
先ほどもマルコ福音書6章3節を引用した時にも言いましたが、この時にはすでにいなかったのかもしれません。
また、ヨハネによる福音書の2章に記されるカナでの結婚式に、ヨセフの名前が出てきませんから、イエスが活動を開始された早い時期に、ヨセフは既に亡くなっていたのではないかと考える人さえいます。
ちなみに、ルカによる福音書3章23節によれば、イエス・キリストが宣教活動を開始されたのはおおよそ30歳の頃のことでした。そうすると、その父親であるヨセフの年齢はこの時40代後半から50代ぐらいではなかったかと考えられます。当時の平均寿命から考えると、50代で亡くなったとしても、それは決して早い死とは言えません。
ですから、ヨセフの生涯のその後については、ほとんど知られていないとしても、それは仕方のないこととしか言いようがありません。