2011年3月30日(水) どうしてクリスチャンになったのですか 石川県 R・Iさん

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会がお送りするBOX190。ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

 それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は石川県にお住まいのR・Iさん、女性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。

 「山下先生、番組を楽しく聴かせていただいてます。
 ぶしつけな質問かもしれませんが、先生はどうしてクリスチャンになられたのですか。家族からの反対とか、まわりの人たちとの軋轢とか、ありませんでしたか。どんなことでもかまいません。お聞かせください。よろしくお願いします。」

 R・Iさん、お便りありがとうございました。R・Iさんは既に洗礼をお受けになっていらっしゃるのでしょうか。それとも、ご家族やまわりの人たちの反対のために、躊躇していらっしゃるのでしょうか。
 因習の根強い地域に住んでいらっしゃる方たちにとっては、キリスト教会に行くことも、まして洗礼を受けることとなればなおさら、周囲からの反対も大きいことでしょうね。

 わたしが洗礼を受けたのは、今から36年も前のことになりますが、それはわたしが高校生の時でした。どうしてクリスチャンになろうと思ったのか、というよりも前に、どうして教会に行くようになったのか、そのことからお話しした方がよいかと思います。
 あちこちの番組で話したことがありますので、またか、と思う方もいらっしゃるかもしれません。

 さて、教会へ行ってみようと思ったのは、聖書との出会いがあったからですが、その聖書と出会ったのは、まったくの偶然と言ってもよいようなきっかけでした。たまたま姉の本棚にあった聖書を手にしたのが始まりです。
 ただ、その頃のわたしはといえば、音楽家になる夢が破れて、中学卒業後も家でブラブラとしていたような時代でした。中学生時代のわたしのことを知っている友達からすれば、このわたしが聖書を手にするなどと想像もつかないことだと思います。もちろん、わたしも聖書に興味があって聖書を読んだわけではありません。

 その頃のわたしは、ものの語源というものに興味を持っていました。あるとき、曜日の語源がどこからきているのか、とても知りたくなりました。日月火水木金土、すべて星の名前と関係がありそうなことは分かるのですが、なぜ曜日と星とが関係あるのか、そこが知りたかったのでした。
 そこで、ひょっとしたら聖書に何か書いてありはしないかと聖書を手にしたのがきっかけでした。

 ところが、天地創造の話から読み進んでいくうちに、当初の目的をすっかり忘れて、今まで読んだことがなかった聖書の世界の新鮮さにぐいぐいと引きずり込まれていってしまいました。気がついた時には黙示録のおしまいまで一気に読んでしまっていました。
 一気に読んだので、結局何が書いてあったのか、聖書は何が言いたいのか、よくは理解できませんでした。ただ、一つだけ自分にも理解できたことは、天地万物をお造りになった神が、ご自分を裏切るイスラエルの民に、何度も何度もご自分のもとへと帰って来るようにと招いておられることでした。

 他にも印象に残りそうな個所はいっぱいありそうなものですが、しかし、その時のわたしには「背信の子らよ、主に立ち帰れ」と呼びかける預言者の言葉が、他ならない自分への呼びかけと思われたのでした。
 そんなことがあって、教会へ行ってみようと思うようになりました。

 教会に行く頃には、すでにこのままクリスチャンになってもよいと思うほどになっていました。そんなに早く決心できたのは、一つには、まだ16歳の頃でしたから、それほど深くは考えていなかったと言うこともあります。もう一つには、小さいころ接したキリスト教に対するイメージがよかったからというのも影響していたのだと思います。

 家族もわたしが教会に行くことに強い反対はしませんでした。というのも、中学最後の年に、私は荒れ放題に荒れていましたので、教会にでも行くようになったら、少しはまともな人間になるだろう、という家族の期待もあったのかもしれません。洗礼を受けることになっても、強い反対は受けませんでした。教会にいくようになってから、よほどまともになったと見えたのでしょう。中学の頃、荒れていたのも、こんなところで役に立つとは、人生不思議なものです。

 ただし、洗礼を受けるときには反対されませんでしたが、牧師になりたいと言ったときには、猛反対されました。その時の父の言葉は今でもはっきりと覚えています。

 「お前を乞食にするために大学までやったんじゃない。牧師は乞食といっしょだ」…そう言われました。

 あの時はカチンときましたが、今自分があの頃の父親の年齢に近づいてみて、そう父親が言った気持ちはよく理解できます。しかし、あの時は売り言葉に買い言葉で、ひどい反論の言葉を吐きました。その言葉も今でもはっきりと覚えています。公務員だった父親にこう反論しました。

 「信徒の自発的な献金によって支えられている牧師が乞食だと言うなら、お父さんだって国民から強制的に税金を絞りとって暮らしてるんだから、強盗と同じじゃないか。」

 今から思うとまったくおかしな反論です。第一その強盗の世話になって今まで生きてきたわけですから、そんなこと言えた義理ではないはずです。
 いずれにしても、それだけ強く反対されたこともあって、牧師になろうとする思いは返って強くなったともいえます。それだけ強く反対していた父でしたが、神学校にいくようになってからも、いろいろな面で助けてくれました。

 こうして大きな摩擦もなくやって来られたのも、すべてを益としてくださる神様の不思議な摂理だと思います。

 ただ、周囲との軋轢がまったくなかったのか、といえば、そんなことはありませんでした。洗礼を受けてから間もなくやったきた試練がありました。
 その頃、高校の体育の授業で柔道の時間があったのですが、道場に神棚があって、授業の前にその神棚に向かって全員礼をすることになっていました。それだけなら、自分だけ礼をしなければ済むことなのですが、その号令を学級委員がすることになっていたのです。その頃、学級委員に選ばれていたために、自分にとっては一大事でした。

 そんなことは形式的なことなので、どうでもいいと思われるかもしれません。しかし、当時のわたしにとっては、自分の信仰心を侵害されるようで、とても我慢できることではありませんでした。
 勇気を振り絞って先生のところに言って、自分にはできない事情を説明しました。

 その後も、似たようなことを何度か経験しましたが、経験してみて分かったことは、中には嫌みな反応をする人がいても、良識あるたいていの人は理解してくれるということです。

 大多数とは異なる信条を持つときには、軋轢は避けることができません。しかし、心を尽くして説明すれば、理解者を得ることができる、ということは、そのとき学んだことでした。と同時に、相手の立場への理解を示すことも大切であることも、長い間の経験から学んだ大切な事柄です。

 R・Iさんも、どうか周囲からの反対や軋轢を乗り越えて、信仰にとどまることができますように、心からお祈りいたします。