2010年5月19日(水) 就いてはいけない職業って? ハンドルネーム・マイさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会がお送りするBOX190。ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週はハンドルネーム・マイさんからのご質問です。お便りをご紹介します。
「今まさに就職活動中のマイと言います。よろしくお願いします。
なかなか就職も決まらない今日この頃ですが、こうもなかなか決まらないと、仕事など選んでいる場合ではなく、何でもいいから決めてしまおうという考えになったりします。
そんな中でふと疑問に思ったことがあります。ついてはいけない職業というものはあるのでしょうか。ちなみに私はクリスチャンではありませんから、日曜日に仕事をしても問題はありませんし、何となればお坊さんなるという選択肢もあります。ただ、そういう宗教上の制限の問題は別として、人間として、それを職業として選んでいいものと選んではならないもの、というような区別はあるのでしょうか。」
マイさん、お便りありがとうございます。今まさに就職活動中ということで、大変なプレッシャーの中にいらっしゃるのではないかとお察しいたします。このご質問が放送される頃にはすでに就職先が決まっていらっしゃるといいですね。
さて、さっそくご質問についてご一緒に考えてみたいと思います。実は問題は簡単にそうに見えて、奥深いものがあるように思います。まず、職業とは何かということがはっきりしないことには、お答えしようがありません。
国語辞典的にいえば、「職業とは生計を立てるためにする、日常継続的な業務ないしは仕事」と言うことができます。ここには職業に対する倫理的な概念も価値観も含まれてはいません。そういう意味で、どんな仕事であれ、この定義に当てはまるものは、その人の倫理観や価値観に関係なく職業として成立するわけです。
たとえば、生計を立てるために日常的に人を殺すことを仕事としているいわゆる殺し屋は、この国語辞典的な「職業」の定義からすれば、確かに「職業」と言わざるを得ないでしょう。もちろん、マイさんがその職業に就きたいかとか、マイさんがそれを職業として認めるかどうかは別の話です。あくまでも定義の話です。
日本国憲法では基本的人権の一つである自由権の中に、「職業選択の自由」というものが認められています。日本国憲法二十二条一項の規定です。では、憲法では先ほどの「殺し屋」になることを「職業選択の自由」として認めているのか、というとそうではありません。憲法の規定には「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」と定められていて、「公共の福祉に反しない限り」という制限が設けられています。
マイさんの質問に対して簡単に答えてしまえば、この公共の福祉の反しない限り、どんな職業にも就く自由があります、ということだと思います。
では、公共の福祉とは何か、という問題になると話がとても難しくなってしまいます。とりあえず、先ほどの殺し屋の例でいえば、殺し屋になるという職業選択の自由を認めてしまった場合、これは明らかに基本的人権である「生存権」と矛盾してしまいます。
日本国憲法の第二十五条一項には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と定めており、また、世界人権宣言には「人は全て、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する」とうたわれています。
こうした生存権を一方で認めながら、それを否定する結果が職業の選択の自由によってもたらされてしまった場合、それらを調整する公平の原理が「公共の福祉に反しない限り」という概念です。
もっとも殺し屋のような例は、あまりにも明白すぎてわざわざ取り上げるまでもなく、法律に違反する職業は選択肢の一つにもなり得ないというのがご質問に対する一つの答えだと思います。
ところが、法律というのは国によって違います。ある国で禁止されている職業でも他の国に移住してそれに就くことが許されるのか、という問題はとても難しい問題です。その場合、それは法律的な問題というよりも倫理的な問題であるかもしれません。
実際にそういう具体的なケースがあるのかわかりませんが、たとえば、日本には軍隊がありません。自衛隊が軍隊かどうかという議論はこの際考えないことにします。その場合、どうしても職業軍人になりたい人が、他国の傭兵となることは許されるのかどうか、ということは倫理的に問題になるかもしれません。
似たようなケースで、日本では禁止されている医療行為で、他国では医療行為として認められていることを専門に行う医者になりたい場合に、他国に移住してその夢を実現することは許されるか、と問われれば、法律的には何も問題がないとしても、倫理的にはどうなのか、と疑念を抱く人もいるでしょう。
話が倫理の問題にかかわってくると、話はさらにややこしくなります。たとえばギャンブルは倫理的に許されるか、ということがあると思います。もちろん、ギャンブルをする人はギャンブルのリスクに同意しているのですから、ギャンブルを提供する仕事が倫理に反するとは言えないかもしれません。そう確信できる人がギャンブルの場を提供する職業に就くことは問題ないかもしれません。しかし、そこに後ろめたさを感じながら、なおその職業を選ぶというのは、職業選択のふさわしいあり方だとは言えないと思います。
つまり、その職業自体が倫理的に許されているかどうかという問題は別として、就職しようとしている本人が、その職業について倫理的な疑問を感じる場合には、選んではならない職業と言って良いと思います。
法律や倫理の問題はさておくとして、別の観点からも選んではならない職業というものがあると思います。マイさんが挙げていらっしゃった宗教的な理由というものも、もちろんある人にとっては、職業選択を考える上で大きな基準となる場合もあるでしょう。
もちろん、その中には何の合理的な根拠がないという場合もあるでしょう。たとえば会社の方角が悪いから、とか、占いで選ばないほうが良いと出たから、といった場合です。
これらのケースは非常に個人の内面にかかわる問題ですから、それぞれのケースについて論評することは控えさせていただきます。ただ、そういう基準で職業を選ぶというケースそのものを否定はできません。すくなくともマイさんにはその心配はなさそうですので、これ以上の深入りはしません。
最後に、適性という意味で、その人にとっての選ばないほうがいい職業というものもあるように思います。ご質問は一般論として選んではいけない職業についてだと思いますが、それとは違った意味で選ばないほうがよい職業というものがあることも頭の片隅に入れておいた方が良いように思います。
もちろん、自分に向いていないと思う仕事をわざわざ選ぶ人はいませんが、仕方なく選んでしまうということはありうることだと思います。いろいろなケースが考えられますから、それがいけないことだとは言いません。しかし、チャンスが許されるならば、できるかぎり適性のある職業を選んだほうがよいのは言うまでもありません。