2009年12月23日(水) 聖書に忠実な説教とは ハンドルネーム・tadaさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会がお送りするBOX190。ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週はハンドルネーム・tadaさんからのご質問です。大変長いお便りですが、全文ご紹介したいと思います。

「宗教改革記念日が10月31日であって、その要点は、1.信仰義認、2.聖書原理、3.万人祭司の3点であるという説教を聞きました。その後、別の放送で、キリストの誕生について、こう語られました。『イエス・キリストは、寒い冬の夜に、貧しい馬小屋の中で、だれの祝福も受けずにお生まれになりました。その事実が、天使によって、野宿をして羊の番をしていた貧しい羊飼いたちに真っ先に伝えられました。…』
ところが、別の歴史的に聖書を研究されている方の話によると、12月25日にイエス様が誕生したという記録はない、とのことでした。一般的に、羊を放牧し、夜も野に置く時期は、現在の暦で気候が良い4月から9月頃までだそうです。聖書の中にも「冬の夜」とは記されていません。ですから、聖書の記述からすると冬ではないことになります。また馬小屋での誕生については、当時の家屋構造は、1階が家畜用の部屋で、2階が人間の住居の部屋という構造になっており、家畜の安全を守り、さらに、家畜の体温によって家屋を温めるという生活の工夫をしていたということです。ですから、聖書の記述で、『宿がなかった』『飼い葉桶に寝かせた』ということであれば、宿がなく民家の1階を借りて宿泊したときにイエス様がお生まれになり、そこにあった飼い葉桶に寝かせた、と考える方が一般的かと思います。また羊飼いという職業は、現代では、文明の進化に取り残された貧しい人々かもしれませんが、当時は、狩猟と農耕が主な産業であったとすれば、さほど貧しい部類には入らないのではないかと思います。また誰にも祝福されずに、というのは、マリアとヨセフが初産であったことから、だれか産婆の役を果たす方がいたと思います。
イエス・キリストの誕生に関する説教で語られる内容は、中世や近代以降に造られたイメージであって、聖書に忠実ではないと思います。宗教改革記念日に際しまして、『聖書原理』に従うならば、聖書に記されていない内容で説教をすることは、たいへん危険なことだと思いますが、いかがでしょうか。」

tadaさん、大変興深いお便り、ありがとうございました。内容がクリスマスの説教に関わる事柄でしたので、丁度きょうの番組で取り上げるのがふさわしいと思い、他の方たちからのご質問を後回しにさせていただきました。

さて、ご質問の主旨は宗教改革の原理の一つである聖書主義にたった説教とはどうあるべきか、ということだと理解させていただきました。tadaさんご自身は「『聖書原理』に従うならば、聖書に記されていない内容で説教をすることは、たいへん危険なことだ」というご意見をお持ちです。そして、その具体的な例として、あるとき耳にしたルカによる福音書二章に関わる説教を取り上げて、「聖書に記されていない内容」とは例えばどんなことを指しているのか、示してくださいました。

結論から先に言いますと、聖書に記されていない内容で説教をすることは危険である、という大枠に関しては、まったくその通りだと思います。ただ、「聖書に記されていない内容で説教をする」とは具体的にどういうことなのか、という細かな点では必ずしもtadaさんの考えと一致しているわけではありません。

まず説教は学問的な聖書研究の発表の場ではありません。もちろん、だからと言って、説教の組み立ての基礎となっている聖書の読み方が、学問的な聖書の読み方をまったく考慮しなくてよいと言うことではありません。

例えば、tadaさんが具体的な例としてあげて下さった説教の言葉…「イエス・キリストは、寒い冬の夜に、貧しい馬小屋の中で、だれの祝福も受けずにお生まれになりました。その事実が、天使によって、野宿をして羊の番をしていた貧しい羊飼いたちに真っ先に伝えられました。」というくだりには、tadaさんの指摘されているように、明らかに学問的な研究からは、蓋然性をもって言いえない事柄も含まれています。
キリストが生まれたのはほんとうに「寒い冬」の夜であったのか、ルカによる福音書を歴史的に研究しても、そのように結論付けることは出来ません。明らかに教会の古い伝統によって守られて来た冬のクリスマスのイメージを聖書に読み込んでしまっています。

しかし、tadaさんが挙げてくださった根拠…「一般的に、羊を放牧し、夜も野に置く時期は、現在の暦で気候が良い4月から9月頃までである」という聖書学者の見解は、ルカによる福音書の2章に記された出来事が、冬であったと言うことを完全に排除してしまうかというと、そうは思えません。

わたし自身はキリストの降誕が冬であったとする教会の古い伝統を躍起になって支持しようとは思いませんが、ルカ福音書2章8節に記されていることは「羊飼いが野宿しながら羊の群れを番していた」ということです。
聖書学者の見解に対してわたしの素朴な疑問は、冬の間、羊の群れは屋内にいたのだろうか、ということです。その時代のベツレヘムに大きな家畜小屋があると考えることこそ、現代の畜産農家のイメージを聖書に逆読みしてしまっているのではないでしょうか。放牧こそされてはいないものの、依然として屋根のない囲いの中で飼われているのではないでしょうか。もちろん、こんなことの真偽は考古学の発見と古代の文献に証拠があれば一気に解決できる問題です。

仮に羊の群れが冬の間、屋内で飼われていたとしても、その羊の群れを番する羊飼いは屋根のある小屋に一緒にいることが許されたのでしょうか。夜通し番をする羊飼いは雇われた人々でしょうから、屋外にいるしかないとも考えられます。羊が屋内にいるのだから、羊の番人も一緒に屋内にいたに違いないと考えてしまうのは、それも現代流の思い込みです。もちろん、どちらが正しいのか、古代の文献でもあれば白黒ハッキリさせることが出来ます。

確かに蓋然性の問題としては、ルカ福音書の2章で言われていることは冬の出来事ではなかった、と考える聖書学者の見解の方が、より蓋然性は高いと言えるでしょう。しかし、その見解だけでは冬である可能性をまったく排除する証拠とはなっていないように思います。

さて、もっと大きな問題は、説教者がそこからどんな説教の結論を導き出そうとしているかと言う点です。その人の説教全体を聴いたわけではありませんから、全体との係わりが解りません。もし、キリストの降誕は十二月であったという結論を、説教の中心の一つに据えているのであれば、それは明らかに聖書に立った説教とはいえないでしょう。

しかしまた、キリスト降誕の知らせが、誰よりもまず先に被差別民であった羊飼いに知らされた意義を説教の中心に据えるのであれば、当時の羊飼いの社会的な地位についての検証が必要です。当時のユダヤ社会における羊飼いの地位については、ユダヤ教の文献の中に記されていますが、彼らは「地の民」と呼ばれ、差別の対象だったといわれています。もっとも厳密に言えば、その文献の成立年代がイエス時代よりも後の時代であるので、歴史的な証拠として採用できるかどうか、という問題は残ります。

いずれにしても、説教が聖書に立脚しているという意味は、説教の中心主題が、説教のテキストとして用いられた聖書から、単なる思い込みではなく、相当な蓋然性をもって結論付けられるかどうか、という点にあると思っています。
重箱の隅をつついたような議論にも耐えうるかどうか、もちろん、そこまで完璧であれば、申し分ありませんが、しかし、主題と関係のない事柄についてまで正確さを求める必要もないように思います。木を見て森を見ないという弊害に陥ってしまわないためにも、取り上げた聖書箇所の主題と説教の主題とが合致しているかどうか、その点にもっとも心を注ぐ姿勢が、聖書に立った説教だとわたしは理解しています。