2008年6月25日(水)「エノクは神に取られた」とは? T・Hさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週はT・Hさん、男性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。
「山下先生、たびたびお世話になります。今日も質問させてください。
創世記に『エノクは神に取られた』とあります。またエリアも取られたと言うことです。これは彼らが死ななかったということでしょうか?もし死ななかったとすれば『罪によって死が入り込んだ』という事より彼らに罪がなかったと言うことになりアダムにより罪が入り込んだ事と矛盾します。これは一体どういう事でしょうか?
たびたび質問しますが宜しくお願いいたします。」
T・Hさん、メールありがとうございました。
創世記5章にはアダムからノアに至るまでの系図が記されています。この系図にはたくさんの人名が記されています。記されている人の名前こそバラエティに富んでいますが、その形式はほとんど一定しています。特にそれぞれの人物は「何年生き、そして死んだ」という言葉で結ばれています。
ところが、T・Hさんのご質問に出てきたとおり、エノクだけが例外的に「そして死んだ」という言葉が出てきません。その代わり、次のように記されています。
「エノクは365年生きた。エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。」
そこで、「死んだ」と明言されない以上、他の人々とは違って、死を経験することなく神のもとへと移されたのだと考えられるようになりました。新約聖書のヘブライ人への手紙11章5節にはこう記されています。
「信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです」
ところで、ちょっと余談になりますが、ユダヤ人たちの間では死を見ないで天に移された人物が三人いると考えられています。その一人は言うまでもなく、先ほどのエノクです。もう一人は預言者エリヤです。
エリヤの最後については旧約聖書列王記下の2章11節でこう記されています。
「彼らが話しながら歩き続けていると、見よ、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分けた。エリヤは嵐の中を天に上って行った」
ここでも、「エリヤは死んだ」とは言われずに、嵐の中を天に昇っていったことが記されているのです。しかも、この列王記下の2章では、エリアについて何度も「取り去る」とか「取り去られる」という表現が出てきます。実はこの「取り去る」といわれている言葉は、正にエノクを「神が『取られた』のでいなくなった」と言われているところで使われている言葉とまったく同じ言葉です。
そこで、預言者エリヤについても、エリヤは死んだのではなく天に直接挙げられたのだと信じられるようになりました。
三人目の人物はモーセです。ただし、ユダヤ教の系統にも様々な系列がありますが、すべてのユダヤ人がそう信じているわけではありません。しかし、ある人々はモーセもエノクやエリヤと同じように死を見ないで天に挙げられたのだと考えています。
新約聖書の福音書の中にキリストの姿が山上で変貌した話が出てきますが、そのとき「エリヤがモーセと共に現われて、イエスと語り合っていた」(マルコ9:4)と記されているのも、モーセとエリヤは神によって同じような扱いを受けて同じ場所にいるからだと考える人もいます。
ただし、聖書の記述どおりに取れば、モーセが死んだことは申命記34章5節にこう記されています。
「主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ」
ただ、その続く節にはこうも記されています。
「主は、モーセをベト・ペオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが、今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない。」
モーセが天に挙げられたと言う伝説が生まれたのは、おそらく、だれもモーセが葬られた場所を知らないという聖書の言葉から生まれた気ままな想像であると思われます。
さて、話が横道にそれてしまいましたが、少なくとも旧約聖書はエノクとエリヤの二人について、「死んだ」という表現ではなく「取られた」という表現で、その地上での生涯が特殊な形で終わったことを示しています。
そして、新約聖書でははっきりと「エノクは死を経験しないように、天に移されました」と記されているのですから、その点については聖書が記しているとおり受け止めざるをえません。
そこでもう一度T・Hさんのご質問に戻って考えてみたいのですが、T・Hさんはこうおっしゃいました。
「創世記に『エノクは神に取られた』とあります。またエリヤも取られたと言うことです。これは彼らが死ななかったということでしょうか?」
この質問については、彼らが通常の死を見なかったということは聖書が教えているとおりです。
続いて、T・Hさんはそこから結論付けてこうおっしゃいます。
「もし死ななかったとすれば『罪によって死が入り込んだ』という事より彼らに罪がなかったと言うことになりアダムにより罪が入り込んだ事と矛盾します。」
その点については違うと思います。まず、エノクにしろエリヤにしろ、通常の死を見なかったことは聖書自身が記しているとおりなのですが、地上から天へと移されるに当っては、神の特別な介入があったことを聖書が記しています。神が彼らを取って天へと移したのです。つまり、神の介入がなければやはり自分自身の罪のうちに死んでしまっていたはずなのです。
聖書はエノクにしろエリヤにしろ、罪がなかったとは一言も記してはいません。彼らとても例外ではなかったのです。そうであればこそ、神の特別な介入がなければ天へ移されることはなかったのです。