2007年12月19日(水)日曜日が安息日? 愛知県 T・Kさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は愛知県にお住まいのT・Kさん、男性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。
「山下先生、十戒の第四戒について質問があります。
旧約時代には週の最後の日、つまり土曜日が安息日であったと聞きました。この十戒は今でもクリスチャンにとって大切な戒めであるはずなのに、キリスト教会は日曜日に礼拝を守っています。これは厳密な意味で十戒の第四を破っていることにはならないのでしょうか。キリスト教のある教派では今でも土曜日に礼拝を守っているところがあるそうですが、むしろ、その方が正しいのではないかとさえ思えてきます。わたしが知っている限り、聖書には安息日を土曜日から日曜日に変更せよという明白な記述はないように思います。
それにもかかわらず、なぜキリスト教会は安息日を土曜日から日曜日に変えてしまったのでしょうか。それは神の言葉である十戒に変更を加えたことにはならないのでしょうか。
よろしくお願いします。」
T・Kさん、お便りありがとうございました。確かにモーセの十戒の第四戒には「安息日を心に留め、これを聖別せよ」(出エジプト20:8)とあります。そして、その理由として「六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである」(出エジプト20:11)と言われています。ここから、一週の七日目、つまり土曜日を安息日として、礼拝を守る習慣が生まれてきました。厳密にはユダヤ人の一日は日没から日没までですから、金曜日の日没から土曜日の日没までが安息日として厳守されたわけです。この伝統は今でもユダヤ教の中に生きています。
ところが、お便りにありましたように、キリスト教会では一部の教派は例外で、ほとんど大半の教はでは日曜日に礼拝を守り、日曜日がキリスト教的な安息日であると理解されています。もちろん、日曜日を安息日と理解するのですから、本来の土曜日に守られてきた安息日は、特別な日という地位を失いました。
では、なぜキリスト教会はそんな大胆なことをしてしまったのでしょうか。お便りにもありましたが、安息日を移動させるように命じる明白な教えは、新約聖書の中に見当たりません。それにもかかわらず、今日のキリスト教会はほぼすべて、日曜日を十戒の中にいわれている安息日と理解して守っています。
そこで、先ず新約聖書の中に記された歴史の事実から順を追って見ていきたいと思います。
まず、イエス・キリストご自身ですが、宣教を始めた当初からユダヤ教の安息日に行なわれた礼拝に出席しておられました。ルカによる福音書4章16節以下にはナザレの会堂で安息日を守られたイエス・キリストのことが記されています。イエスはイザヤ書の預言の言葉を朗読し「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」とおっしゃられました。そういう意味ではイエスご自身はユダヤ教の日付で安息日を守っておられたということができるでしょう。
しかし、同時に、福音書を読む限りイエス・キリストは安息日に対してかなり自由な態度を取っておられました。例えばヨハネ福音書の5章17節には安息日の守り方を破ったとユダヤ人から非難されたイエス・キリストはこうお答えになりました。
「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ」
イエス・キリストは明らかに安息日に対するユダヤ教の態度とは一線を画しておられました。さらにマルコ福音書2章28節では「人の子は安息日の主でもある」とおっしゃっています。
さて、このイエス・キリストに従う弟子たちの時代になって、安息日はどうなったのでしょうか。
使徒言行録にはパウロたちが安息日ごとにユダヤ人の会堂に行っていたことが記されています。もっとも礼拝のためだったのか、宣教のためだったのかはっきりはしません。
いずれにしても、それとは別に「週の初めの日」に集会を持っていたことも使徒言行録には記されています(20:7)。また、それを裏付けるようにパウロがコリントの信徒へ宛てた手紙の中には、エルサレムのクリスチャンの援助に捧げられる献金を「週の初めの日にはいつも」手元にとって置くようにと命じられています(1コリント16:2)。これは週の初めの日に守られる礼拝でそのために献金を集めると言う意味でしょう。とすると、「週の初めの日」、つまり日曜日にクリスチャンたちは礼拝に集まっていたと言うことが分かります。
この場合、従来の安息日のほかにも礼拝を守っていたのか、それとももうすでにユダヤ教の安息日は守らないで、キリスト教会独自の礼拝を持つようになったのかはっきりしません。
ただ、ヨハネ福音書16章2節の記事にイエスの言葉として次のような言葉が記されています。
「人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。」
これは一世紀末頃には現実のものとなりました。ユダヤ教の会堂でクリスチャンが礼拝を守ることはその時代以降不可能となったのです。もちろん、同じ安息日に自分たち独自の礼拝を守ることもできたでしょうが、しかし、既に観てきたようにキリスト教会は日曜日の集会を別に守っていましたので、改めて集会場所を確保して従来の安息日に礼拝を守る必然性を感じていなかったのかもしれません。
さらに、コロサイの信徒への手紙2章16節以下にはこう記されています。
「だから、あなたがたは食べ物や飲み物のこと、また、祭りや新月や安息日のことでだれにも批評されてはなりません。これらは、やがて来るものの影にすぎず、実体はキリストにあります」
このように確信したキリスト教会ですから安息日をいつ守るのかという日にちの問題からは十分に解放されていたと考える事ができると思います。
また一世紀末から二世紀に書かれた文書の中に『ディダケー』と呼ばれる書物があります。この書物の中に「主の主の日」という表現が出てきます(14章)。同じく二世紀初頭に書かれたマグネシアのクリスチャンへ宛てて書かれたイグナティオスの手紙には、「主の日」という言葉がユダヤ教の「安息日」と対比されて論じられています。「主の日」というのはこの場合イエス・キリストが復活された日で、日曜日を指しています。この時代になると、あえてユダヤ教の安息日と対比させて、キリスト教会の礼拝が意識されるようになったことがうかがわれます。
以上をまとめると、一方ではユダヤ教の会堂から追放され、安息日に礼拝を守れなくなったという消極的な理由から、また他方では、週の初めの日、つまり日曜日はイエス・キリストが復活された日という積極的な理由から、日曜日がキリスト教会の礼拝の日となったという経緯を見ることができます。さらに、コロサイの信徒への手紙で見たように、そこには安息日は「やがて来たるものの影に過ぎない」という神学的なモチーフが加わり、日曜日こそキリスト教的な安息日であるという確信が生まれてきたのだと思われます。