2007年5月16日(水)アラム語について 福岡県 K・Eさん

いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は福岡県にお住まいのK・Eさんからのご質問です。お便りをご紹介します。

「山下先生、番組に寄せられるいろいろな質問をいつも興味深く聞かせていただいています。
ところで、キリスト教会で話題になった映画『パッション』では台詞がすべて当時話されていたラテン語とアラム語であることは先生もご存知だと思います。そこで質問なのですが、イエス・キリストがアラム語を話していたという証拠はどのように証明されるのでしょうか。また、映画の中で使われているアラム語の台詞はどうやって復元したのでしょうか。疑問に思いましたので質問させていただきました。よろしくお願いします。」

K・Eさん、お便りありがとうございました。残念ながらわたしは映画そのものを観ておりませんので、詳しいことはなんともコメントすることができません。いえ、たとえ観ていたとしても、アラム語を知っているわけではありませんから、それが正しいアラム語か間違ったアラム語なのか、論評できる立場にもありません。
ただ、この映画のアラム語の台本に関しては、ロサンゼルスにあるロヨラ・メリーマウント大学で古代地中海世界に関する学問を教えているウィリアム・ファルコ教授がその労をとったと聞いています。ファルコ教授は1936年生まれで、18歳のときにイエズス会に入り、30歳で司祭になった人です。『パッション』という映画では、台本の翻訳を担当したばかりか、俳優たちのアラム語の発音指導もしたそうです。

さて、映画のことはさておくとして、イエス・キリストがアラム語を話していたということをどうやって証明するのでしょうか。イエス・キリストがアラム語で話している肉声でも残っていれば動かしがたい証拠になるはずです。しかし、残念ながら音声を保存できる技術は高々一世紀ちょっとの歴史しかないわけですから、それ以前のどんな歴史上の人物も、肉声によって何語を話していたのかということを確かめることはできません。
その人の直筆の手紙でも残っていれば、これもかなり有力な証拠となります。もっとも、公文書には共通語の外国語で書き記し、普段は自分の民族の言葉を話すということも考えられますから、文書は決定的な証拠とはならないかもしれません。
その人物が何語を話していたのか、という第三者の証言でも残っていればよいのですが、そういったことはあまり期待できるものではありません。たとえば、わたしが日本語を話していたと言うことをわざわざ証言する記録など果たして必要でしょうか。日本で生まれ育って、日本で暮らしていれば、当然、日本語を話していたことは言うまでもないからです。
聖書をざっと思い返してみても、言葉に関しての記述と言うのは特別な場合がない限り記録がないものです。たとえば、旧約聖書の列王記18章26節によれば、アッシリアの王センナケリブから遣わされたラブシャケがヒゼキヤ王に伝えたメッセージは、公用語のアラム語ではなくユダヤの言葉で話されました。あるいは、新約聖書の使徒言行録21章40節によれば、パウロはヘブライ語を使って弁明を述べたことが記されています。
イエス・キリストについても、聖書のどこかに同じようなことが記されていれば良いのですが、残念ながらそういった記述はありません。キリストの言葉として聖書の中に残っているものはギリシア語で記されていますから、それだけを読む限り、もともとギリシア語でお話になったのか、それともアラム語で話されたものが翻訳されたのか決定的なことは言うことができません。

となれば、キリスト時代のパレスチナでは一般的に何語が話されていたのかということから、キリストもその言葉を話していただろうと結論付けるより他はありません。特別な事情でもない限り、それがもっとも蓋然性の高い結論だと言うことができます。
では、当時のパレスチナでは何語が話されていたのでしょうか。聖書を見渡すと、一つ面白い記事に出くわします。それはヨハネによる福音書が記しているキリストの罪状です。ヨハネ福音書19章20節によると、十字架の上に掲げられた罪状書きはヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で記されていました。少なくともパレスチナではこの三つの言葉が使われていたことがわかります。ただ、それだけから当時の言語の使用状況を把握することはもちろんできません。なぜなら、例えば、JRの駅に日本語と英語の案内があるからと言って、20世紀後半から現代にかけて日本では英語が話されていたとはいえないでしょう。それから、もう一つ問題なのは、ヘブライ語と言われていても、ヘブライ語そのものを指しているのか、アラム語を指してヘブライ語と言っているのか明確でない場合があるからです。
では、キリスト時代にパレスチナでアラム語が話されていたという証拠はどこに求められるのでしょうか。三つほどの史料グループを挙げることができます。まず、当時の碑文からアラム語が使われていたことが分かります。パレスチナの墓地で発掘されたいくつかの骨入れにはアラム語が記されています。またエルサレムのヤソンの墓の壁にはギリシア語と共にアラム語で碑文が記されていることも知られています。
もちろん、碑文ばかりではなく、当時の時代に属するアラム語で書かれた文書も数多く知られています。特に有名なのはクムラン教団の文書の中にあるアラム語の文書です。
さらに三つ目の史料グループとして、新約聖書の中にアラム語の断片があることが知られています。たとえば、キリストが会堂長ヤイロの娘に語った言葉は「タリタ・クム」(マルコ5:41)でしたが、それはアラム語で「少女よ、起きなさい」という意味でした。また、マルコ福音書が記すキリストが十字架上で叫んだ言葉「エロイ・エロイ・レマ・サバクタニ」(15:34)もアラム語であることが知られています。
こうして見てくるとキリスト時代のパレスチナではアラム語が広く使われていたことが分かりますし、また、ほぼ間違いなくキリストもアラム語を話していただろうということができます。
ただ、アラム語と一口で言っても歴史の長い言語です。長い歴史の中で、多様な地方言語を生みだしてきました。そして、それは死せる言語ではなく今もなお一部の人によって実際に話されている言葉です。実はアラム語を全体的に捉えた辞書ですら、やっと編纂が始まったばかりです。今までは、聖書の中に出てくるアラム語の辞書はあってもアラム語全般を扱う辞書はなかったのです。それは言ってみればシェイクスピアを読むための英語の辞書はあっても他の英語の書物を読むには役立たない辞書を持っているのと同じ状態でした。
アラム語と一口で言ってもそういう状況ですから、実際にはイエスがどのアラム語を話していたのか、そこまで厳密に推測することは簡単なことではないのです。