2007年2月28日(水)自殺してはダメですか ペンネーム 愛さん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週はハンドルネーム愛さん、女性の方からのご質問です。Eメールでいただきました。お便りをご紹介します。
「山下先生、ご相談があります。いけないこととは分かっていますが、自殺をしてはいけないでしょうか。選択肢の一つに自殺を考えるのはダメですか。
実は先週会社を辞めました。4月から勤めはじめた会社でしたが、自分が期待していた仕事ではありませんでした。仕事がつまらない上に、たいした用もないのに遅くまで会社に残らされたり、もう嫌になったからです。
会社の友達はそんな私のことを理解してくれたようです。『しかたないね』って言ってくれます。大学時代の友達は同情してくれるどころか、みんな口をそろえて『もったいない』の一言です。確かに苦労して入った会社ですし、業界トップクラスの会社です。でも、この会社では自分のやりたいことができないと思い辞めました。
しかし、辞めたのはいいのですが、自分に自信がなくなって来ました。先生もご存知と思いますが、私が一番やりたかったことは、試験に落ちてしまってダメでした。他にやりたいこともあり、思い切って大学時代の専門を勉強しなおそうと計画しています。しかし、いろいろ考えているうちに死んでしまいたい思いに襲われています。
先生、キリスト教では自殺はダメですよね。選択肢の一つに自殺を考えるのはダメですか。」
愛さん、メールありがとうございました。メールを読んで、いろいろな思いが心をよぎりました。何だか言いたいことがたくさんあって、どこから話をしたらよいのかと迷います。いろいろ考えあぐねているうちに、正直言葉がなくなって来ました。
メールを読んだときに、私も愛さんの学生時代のお友達のように『もったいない』という思いが先でした。苦労してやっと入社した時のことをまだはっきりと覚えているからです。
それに、まだ一年も経っていないのですから、まずはその会社の中で吸収することがたくさんあるのではないかとも思いました。どんな仕事でも最初から面白い仕事ばかりとは限りません。会社全体が面白いことを生み出していくために、社員は全体の一部としての働きしかしないことだっていくらもあると思います。そんなことを思いながら、つい「もっと早くメールをくれればよかったのに」という言葉が口から出てきそうです。
しかし、どんな選択も誰かが愛さんに代わってしてあげることはできません。最後に決断するのは愛さんなのですから、早くメールをもらって相談していたとしても、結論は同じだったかもしれません。
それに、もう会社を辞めてしまっている愛さんにこれ以上過去のことをどうこう言っても、過去に戻ることはできません。ですから、今、過去を振り返ってとやかく言うのはやめましょう。とにかく生きていかなければならないのですから、前に進むしかありません。
とは言うものの、きっと愛さんも同じことを考えて、「前に進むしかない」と思ったのでしょうね。「生きていかなければならない」というのは確かに重たい言葉です。人生を生きていかなければならないと感じるのは、そもそも何か壁にぶち当たっている時です。何もなければ、人間、「生きていかなければならない」などと人生を重々しく悲観的に考えたりはしないものです。
「息をしなくっちゃ」と考えながら呼吸をしている人はいません。そんなことを考え始めたら、余計に息苦しくなって呼吸するのにも余計な意識を払ってしまいます。ところが、本当に呼吸が困難になったとき、人は「息をしなくっちゃ」と真剣に思います。
愛さんが「生きていかなければ」とか「前に進まなければ」と思うのは、まさに、壁にぶち当たって進むに進めない状態だからのことですよね。その苦しい状況を思うと「このまま死んでしまえばこの苦しみから解放される」と思う愛さんの気持ちはわからないでもありません。
では、ご質問にあるとおり、自殺するということを、今の苦しみから逃れる選択肢の一つに加えてもいいのでしょうか。どうしてキリスト教では自殺はしてはいけないと教えているのでしょうか。
まず初めに、形式的な答えをざっとしてしまいましょう。きっとその答えは頭では納得できても、愛さんの心には響かない答えだと思います。
キリスト教が自殺を禁じる理由は二つあります。一つは自殺であろうが、他殺であろうが、人を殺すことは十戒の教えに反するからです。では、なぜ聖書は人殺しを禁じているのかといえば、人はみな神にかたどって造られているからです(創世記9:6)。その尊厳ある命を、自分のであれ他人のであれ奪うことは許されないからです。
キリスト教が自殺を禁じる第二の理由は、どんな罪にも悔い改めるチャンスがあるのに、自殺は悔い改めるチャンスを自分で奪ってしまうからです。たとえ人の命を奪う大罪を犯したとしても、真実に悔い改める者にはキリストの救いが与えられます。しかし、その悔い改めるチャンスすら自ら奪ってしまう自殺には、赦しのチャンスがないと考えられるからです。
以上述べたことは、教科書どおりの答えといったらよいかと思います。きっとこの答えに愛さんは頭では反対できないでしょう。しかし、心ですんなりと受けとめてはくれないだろうと思います。
選択肢の一つに、自殺すると言うことをどうしても今すぐはずせないのでしたら、それはそれでとっておいてはどうですか。選択肢があるからといって、それを今すぐ使わなければならない理由はありません。それは来週使うのでなく、きょう使わなければならない必然的な理由がありますか。それは来年ではなく来週使わなければならない明確な理由はありますか。きっとそれは50年後ではなく来年使わなければならない理由もないはずです。ですから、とりあえず取っておいて、今できることを考えではどうですか。
幸い、愛さんの場合、大学で学んだ専門をさらに生かしたいという希望があるのではありませんか。そのための準備をはじめれば、道も開けて見えるはずです。もちろん、苦労も多いことは覚悟が必要かもしれません。それでも、今できることからはじめる以外に何ができるのでしょうか。「千里の道も一歩から」とは昔の人の知恵です。最初の一歩を止めてしまったらゴールに到達することはできません。ましてや、万事を益としてくださる神(ローマ8:28)を信じるクリスチャンにとっては、千里の道のりも神が共にいてくださる道です。
最後にもう一つだけ加えて終わりにします。
愛さんは仕事を辞められてから、まだ一週間ですよね。少し休息を取ると言うことも大切ではないですか。人間何も考えずに休むことも大切です。一度すべてを空っぽにしたときに、きっと進むべき道が示され、力もあたえられるものと信じます。