2005年2月9日(水)「罪性? 罪責? 原義? 現行罪?」 神奈川県 N・Nさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は神奈川県にお住まいのN・Nさん、女性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。
「山下先生、いつも番組を楽しみに聴いています。
さて、先日、ウェストミンスター小教理問答を手にして、人間の罪について学ぼうと、開いてみました。問の13あたりから読み進めたのですが、用語が難しくて、中々頭に入りません。特に問の18は言葉が難しくてチンプンカンプンです。罪性とか罪責とか原義とか現行罪とか、何だかわかるようで分からない言葉で埋め尽くされていて、頭が混乱してきてしまいそうです。
普段からあまり難しい言葉になれていないわたしにも分かるように解説していただけるとうれしいです。」
N・Nさん、メールありがとうございました。N・Nさんはキリスト教の教理についての学びをはじめられたのですね。しっかりとした教理に触れることは、信仰生活を送る上で、とても役に立つと思います。もちろん、言うまでもないことですが、教理の学びと聖書を読むことは切り離すことが出来ません。ぜひ聖書を開きながら教理を学んでみてください。
さて、N・Nさんが使っていらっしゃるのはウェストミンスター小教理問答だそうですが、この教理問答は、宗教改革の時代からおよそ130年ぐらいしてから、イギリスで開かれたウェストミンスター神学者会議で生まれたものです。宗教改革の中で問題になった事柄はほとんど網羅されるくらい、詳しい内容を持つ信仰基準です。そのとき生まれたのは、小教理問答書の他に、ウェストミンスター信仰告白と大教理問答書がありました。この二つと比べれば、小教理問答はまだ易しいかもしれません。それでも、子供が読んで理解できるほど易しいかというと、決してそうではありません。
N・Nさんが読んですぐに気がつかれたように、用語や言い回しが厳密で一読しただけでは分かりにくい面もあります。もともとは英語で書かれていますから、英語で読んだ方が、論理的な組み立てを理解しやすい面もあるかもしれません。
さて、N・Nさんからのご質問は、主として問18の中に出てくるいくつかの用語についてでした。確かに「罪性」とか「罪責」とか、番組を耳で聞いている人にとっては、どんな字が使われているのか、その漢字すら想像できないかもしれないですね。
そこで、まず、問の18を取り上げる前に、少し前の問いから見ておくと、流れがつかめるのではないかと思います。大雑把な流れを言うと、問12から15までは、人類の始祖、アダムの堕落について、その経緯が扱われます。そのあと問16から19まで、アダムの堕落とアダム後の人間との関係が扱われます。ご質問にあった問いの18は、そういう流れの中で出てきた問いです。
問18の一つ前、つまり問17ではこんな問答が記されます。
問:堕落は人類をどんな状態に落としましたか。
答:堕落は人類を、罪と悲惨の状態に落としました。
この問17の答えの文章に出てくる「罪」と「悲惨」と言う言葉が問18と19を理解する鍵になる言葉です。つまり、問18では、堕落した人類が陥った「罪の状態」についてのと質問が取り上げられます。それから、問の19では堕落がもたらした「悲惨の状態」が、それぞれ取り上げられているのです。
そういう全体の流れを理解した上で、ご質問のあった問18について見てみましょう。問18はこういう問いです。
「問:人が堕落した状態の罪性は、どの点にありますか。」
ここにさっそく「罪性」という言葉が出てきます。「罪性」とは耳慣れない言葉です。実際、広辞苑にも出てこないくらい特殊な言葉です。漢字では「犯罪」の「罪」に「性質」の「性」と書きます。もともとの英語ではsinfulnessという単語が使われていますから、英語の方が分かりやすいかも知れません。英語では「罪があること」とか「罪深いこと」と言う意味です。
この問い質問の意図が、その直前の答えと関係していることは、既に指摘したとおりです。つまり、堕落によって全人類が、「罪と悲惨の状態」に落ちたということを受けて、その落ちた「罪ある状態」について、ここで問うているわけです。「罪性」という難しい単語に気持ちを奪われて、何が何だか分からなくなってしまうかもしれませんが、尋ねている問いは簡単なことです。人類が落ちてしまった罪ある状態とはどんなものであるか。それを尋ねているのです。
その問いに対して、四つの点から答えています。
先ずはじめに「アダムの最初の罪責を負うている」ということです。
ここでまた「罪責」という難しい言葉に面食らってしまいます。普通の国語辞典で「罪責」と引くと「犯罪の責任」と出てきます。もちろん、ここで言っている罪責とは、刑法を犯した犯罪の責任のことではありません。英語ではguiltという言葉が使われていますが、これはinnocenceと言う言葉の反対語です。つまり、innocenceが無罪潔白であるのに対して、guiltとは有罪であることです。つまり、アダムが堕落してもはや無罪潔白ではなくなったのと同じように、すべての人類がアダムと同じように罪ある者となったということです。
答えの二番目の点は、「原義を失っていること」です。
ここでもまた、「原義」という耳慣れない言葉が出てきます。この単語も国語辞典で引くと、キリスト教とは全然関係のない言葉になってしまいます。英語ではoriginal righteousnessといいますが、アダムが造られたときに持っていたもともとの義の性質を言います。それが欠如しているというのです。
答えの三番目は「人の性質全体の腐敗つまりいわゆる原罪があること」です。
「原罪」は英語でOriginal Sinですが、答えの四番目に出てくる「現行罪」と対になる言葉です。ここでは現実の罪を生じさせる「人の性質全体の腐敗」が「原罪」であると説明されています。
そして、最後に「現行罪」という言葉が出てきますが、これは、actual transgressionsの訳語で、人の性質全体の腐敗から生じる個々の実際の罪を指しています。ここでいう実際の罪というのは、実際の行動に出たものに限らず、思いと言葉で犯した罪も含まれます。
以上あげた四つの点から言って、全人類はアダムの堕落と共に罪の状態に落ちてしまったということなのです。これがウェストミンスター小教理問答の問18が取り扱っている事柄です。
N・Nさん、ご理解いただけたでしょうか。どうぞ、これからもじっくりと学びを続けてください。