2021年5月13日(木) モルデカイとハマンの対立(エステル3:1-7)

 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 人間社会の中では、対立ということがしばしば起こります。世代間の対立、労働者と雇用者の対立、男性と女性の対立、貧富の差による対立、民族間の対立などなど、例を挙げればきりがないほどたくさんの対立があります。

 それぞれの対立には解決しなければならない問題がふくまれ、対立を通して、その問題の本質が浮き彫りにされてきます。しかし、対立の矛先をそらすために問題の本質をすり替えてしまうということが、ごくまれですが起こります。

 たとえば、労働者と雇用者が労働条件を巡って対立し、その労働者側のリーダーがたまたま外国人であったとします。その場合、問題の本質は労働条件であるはずなのに、それをあたかも民族や習慣の違いにすり替えてしまおうとする力が働くことがあります。「外国人だからそんな不平を言って混乱を招いている。日本人労働者からはそんな問題は起こったことがない」といった具合です。

 きょう取り上げようとしている個所も、どこかで問題がすり替えられているように感じられます。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 エステル記 3章1節〜7節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 その後、クセルクセス王はアガグ人ハメダタの子ハマンを引き立て、同僚の大臣のだれよりも高い地位につけた。王宮の門にいる役人は皆、ハマンが来るとひざまずいて敬礼した。王がそのように命じていたからである。しかし、モルデカイはひざまずかず、敬礼しなかった。王宮の門にいる役人たちはモルデカイに言った。「なぜあなたは王の命令に背くのか。」来る日も来る日もこう言われたが、モルデカイは耳を貸さなかった。モルデカイが自分はユダヤ人だと言っていたので、彼らはそれを確かめるようにハマンに勧めた。ハマンは、モルデカイが自分にひざまずいて敬礼しないのを見て、腹を立てていた。モルデカイがどの民族に属するのかを知らされたハマンは、モルデカイ1人を討つだけでは不十分だと思い、クセルクセスの国中にいるモルデカイの民、ユダヤ人を皆、滅ぼそうとした。クセルクセス王の治世の第12年の第1の月、すなわちニサンの月に、ハマンは自分の前でプルと呼ばれるくじを投げさせた。次から次へと日が続き、次から次へと月が動く中で、第12の月すなわちアダルの月がくじに当たった。

 前回は、モルデカイがたまたま耳にした謀反の計画を王に告げたために、その計画は未然に終わり、首謀者たちが処刑された話を取り上げました。この記録は宮廷の日誌に書きとどめられましたが、功労者のモルデカイは取り立ててその功績が報いられたわけではありませんでした。

 今日の個所は、前回の事件とは何の関連もなく、アガグ人ハメダタの子ハマンが王に特別に取り立てられる話から始まります。「アガグ人」が何者であるのかについては、諸説あります。これをアマレク人の王アガグと関係する子孫と解釈し、ハマンとモルデカイとの対立関係をそこに遡って説明しようとする見解がしばしば見受けられます。

 アマレク人は遡ればヤコブの双子の兄弟であるエサウの子孫から出る民族です(創世記36:12)。そのアマレクから出た民族は後にイスラエルがエジプトを出て約束の地カナンに向かう途上で、イスラエルに戦いを挑んできました(出エジプト記17:8以下)。このことがあって、申命記には「アマレクの記憶を天の下からぬぐい去らねばならない。」(25:19)とさえ命じられています。以来、聖書の中にはイスラエルとアマレクの対立がしばしば描かれます。そして、サムエル記上の15章には、イスラエルの王キシュの子サウルがアマレク人の王アガグを打ち破る記事が記されています。そのアガグ王の子孫がアガグ人で、ハマンはアガグの遠い子孫ではないか、というのが先ほど紹介した「アガグ人」を巡る一説です。

 ちなみにモルデカイはサウル王と同じベニアミン族の人ですから、ハマンがサウルに打ち破られた王アガグと関係があるとすると、二人の対立は歴史が生んだ宿命のようにも感じられます。

 物語を興味深く読むためには、そういう説明も一理あるかもしれません。しかし、モルデカイがハマンの前にひざまずいて敬礼しなかった理由が、かつてのアマレクとイスラエルの民族的な対立から来ているものかどうかは、はっきりとは書かれていません。

 わたしは必ずしもそうではないように思います。「王宮の門にいる役人は皆、ハマンが来るとひざまずいて敬礼するように」と命じたのはハマンを任命したクセルクセス王でした。

 そもそも何故そのような命令を王はわざわざ出したのでしょう。ハマンが皆から尊敬される器であれば、王が命じるまでもなく、心から彼の前にひざまずいたでしょう。王の役人たちの間では、モルデカイばかりではなく最初からこの人事には不満があったことを思わせます。あるいは、ハマンに限らず誰が高い地位についても不満はつきものだったのかもしれません。

 ひざまずかないモルデカイに最初に気が付き疑問を抱いたのは、ハマン本人ではなく、王宮の門にいる周りの役人たちでした。ハマンは役人たちから言われるまでは、そんなことに気を留めていなかったかもしれません。ハマンにしてみれば、誰がひざまずいたかなど、いちいちチェックするのも煩わしかったことでしょう。

 王の命令に従わないモルデカイに対して業を煮やしたのは、役人たちです。しかもハマンにそのことを告げるとき、客観的な事実、つまりモルデカイは王の命令に背いてひざまずいていない、ということを告げるのではなく、モルデカイがユダヤ人であるかどうか確かめるようにハマンに勧めます。モルデカイがひざまずかない理由を彼がユダヤ人であることと暗に結びつけるような報告の仕方です。

 今まで気にも留めなかった事柄に気が付いてしまったハマンは、役人たちの偏見に満ちた報告を聞いてからは、モルデカイ個人に対する怒りよりも、ユダヤ人に対する怒りがぬぐえなくなってしまいました。いつの間にかモルデカイ個人への怒りの問題がすり替えられて、ユダヤ民族に対する粛清へと発展してしまいます。

 ハマンは他の役人たちによってユダヤ人たちに対する偏見を植えつけられたとはいえ、それを自分の中でコントロールすることができなかった点は、そもそも上に立つ器ではなかったということの証拠です。

 ハマンはユダヤ人たちを粛清する日取りをくじによって決めようとします。クセルクセス王の第12年の第1の月にくじを投げてふさわしい日を決めようとしますが、第12の月がくじによって示されます。つまり、およそ1年後ということです。ハマンの気持ちを言えば、もっと早く実行したかったに違いありません。1年もあれば、ユダヤ人たちに国外へ逃亡するチャンスを与えてしまい兼ねません。

 しかし、モルデカイをはじめ、ユダヤ人からしてみれば、様々な対策を立てるための神が与えてくださった期間と受けとめられたことでしょう。『エステル記』にはこうした形で、神の見えない御手の導きが描かれます。今日の個所もまたそれを読む人の信仰が試されているのです。