2019年8月8日(木) キリストの葬り(マルコ15:42-47)
ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
先日、ある牧師の戦争体験を聞きました。丁度終戦当時のことで、その方がまだ牧師として任職される前のことでした。たまたま聖書を隠し持っていたということがきっかけで、マニラの軍事裁判で死刑判決を受けた戦犯の絞首刑に教誨師として立ち会うようにと命じられたそうです。
その当時はまだ牧師でもない、ただの一般信徒に過ぎなかった20代半ばの青年には、荷が重過ぎる経験であったと当時を振り返っておられました。立会いを終えて戻ってくると、その青ざめた顔にすぐ回りの者が気がつくほど、異常な体験だったそうです。
イエス・キリストが犯罪人として十字架の上で処刑される場面は、聖書には淡々と描かれています。しかし、それはその場に居合わせた者の顔が青ざめてしまうほど、残虐な場面に違いないと、その話を聞きながら思いました。
きょうの聖書の個所は、十字架の上で息を引き取ったイエスの遺体を引き降ろして埋葬する場面です。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 マルコによる福音書 15章42節〜47節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである。ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊長を呼び寄せて、既に死んだかどうかを尋ねた。そして、百人隊長に確かめたうえ、遺体をヨセフに下げ渡した。ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には石を転がしておいた。マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた。
イエス・キリストが十字架に架けられたのは安息日の前日、金曜日の午前9時のことでした。それから6時間ほどして、キリストは十字架上で息を引き取られました。十字架で処刑される者が死に至るには、時には数日に及ぶこともあったそうですから、イエス・キリストが息を引き取られたのは普通よりも早いと考えられています。それはあまりにもあっけない死でした。ピラトが、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思うくらいのほどです。しかしまた、そんなにも早く息を引き取られるほどに、キリストは徹夜の裁判と鞭打ちの拷問で憔悴しきっていたということでもあります。このような実際には異常なまでの残虐な刑罰の場面を聖書は淡々と語っていきます。
神のみ子イエス・キリストの死に際しても、時はいつもと変わりなく無情に流れていきます。日没になるとユダヤ人にとって大切な安息日が始まります。人々の関心はもうキリストの十字架から安息日のことへと移っていったことでしょう。多くの人は最後まで見届けるなどということはしないで、自分たちにとってもっと大切な安息日の準備に心を向かわせていたことでしょう。
その場に残っていたのは、任務として死刑囚の最後を見届けるローマの兵隊と、キリストの処刑を企み、その死を望んでいた人々と、あとはイエス・キリストに従ってきた極くわずかな人たちだけでした。
そんな中、キリストの遺体の引き取り方を願った一人の人物がいたことをマルコによる福音書は語ります。その人物はアリマタヤ出身の議員で、名前をヨセフと言いました。彼は勇気を出して、大胆にもピラトに遺体の引取りを願います。それは二つの点で勇気がいる大胆な願いでした。一つには、イエス・キリストはローマ皇帝に対する反逆者として処刑された人物ですから、そのような者の遺体を引き取って葬ろうと願うなど、自分も同じ穴の狢と思われてしまう畏れがあります。もう一つには、イエス・キリストをローマの裁判に訴え出たのは、ほかでもないユダヤ最高法院でした。その議員が遺体の引き取り方を願うのは、明らかにユダヤ最高法院の議員としての立場を危うくしてしまいます。しかし、アリマタヤのヨセフがあえて遺体の引き取り方を願ったのは彼もまた神の国を待ち望んでいたからでした。
安息日が始まるまであと数時間という中での埋葬の準備でした。安息日があけてから、女たちが香料を買い求めて、再び墓に行ったと言う復活の日の朝の記事からも分かるとおり、この日の葬りはあくまでも急いでなした、仮の埋葬でした。
しかし、それほど急いでなされた埋葬とはいえ、そのことを記すマルコの筆はしっかりとポイントを押さえています。
まず、イエス・キリストの死がピラトが驚くほどの早い死であったので、わざわざ百人隊長を呼んで、キリストの死を確認させたことを記しています。こうしてキリストの死が中立な第三者によって、しかと確認されています。それはイエス・キリストの死の事実が紛れもないものである証しています。もはや逆戻りすることのない冷酷な死の確認です。
それに続いて、仮のものとはいえ、出来るかぎりの丁寧な葬りであったことが記されます。亜麻布で遺体をくるみ、墓に収め、岩で入り口に封をした次第が描かれ、このことも、イエスの死が確かなものであることを語っています。
さらには、マグダラのマリアとヨセの母マリアが、イエス・キリストの遺体を納めた場所を見つめていたと、二人の人物がイエスの死を証言しています。もちろん、その当時のユダヤでは女性の証言はまともに取り上げられませんでしたから、この二人の女性への言及は当時のユダヤ人たちにはあまり意味がなかったかもしれません。しかし、わたしたちにとっては、一部始終を見つめていた人物がいたということは重要です。
こうして、マルコによる福音書はイエス・キリストの死が確実であったことを葬りの場面をとおして、念入りに描きます。
キリスト教の有名な信仰告白である使徒信条には、主は「十字架につけられ、死にて葬られ」と告白され、ただ単に死んだということだけが述べらるのではなく、「葬られた」ということが併記されています。これは新約聖書第一コリントの手紙15章3節以下で、パウロが最も大切なこととして伝えたこととも一致しています。
「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり3日目に復活したこと」
ここでも「葬られた」ということが「死んだ」ということと並んで記されています。これらのすべてに「葬られた」という事実が記されるのは、イエス・キリストの遺体が放置されたのか葬られたのかということを言うためではありません。そうではなく、イエス・キリストが確かに死んだという事実を、葬りという儀式で確認したということなのです。そのことはまた、復活されたキリストを証言する上でも大切な点です。確かに死んで葬られた方が、よみがえられたのですから。