2019年3月28日(木) 人の子がやってくる(マルコ13:24-27)
ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
大きな災害の前に、その兆候を知って事前に被害を回避することできれば、これほど大きな貢献はありません。
特に大きな地震が多い日本では、地震を予知することが出来ないかと、色々な研究がなされています。こういう研究はどんどん進んでいって欲しいものだと思います。
ただ、現段階では、日時までを正確に予測することはまだ不可能であると言われています。もっとも、そのような地震の予知が現段階では不可能だとしても、どの学者もこぞって確信していることは、そう遠くない将来に、ある特定の地域で、必ず地震が起こると言うことです。しかも、そのような大きな地震につながる兆候はいくつも指摘されています。
これはある意味で世の終わりの出来事に似ているかもしれません。その日、その時がいつなのか、わたしたちにはわかりません。しかし、その日が必ず来ることと、それには何らかの前触れが伴うことは確かなことなのです。
さて、今週もイエス・キリストがお話してくださった世の終わりについての教えをご一緒に学びたいと思います。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 マルコによる福音書 1章24節〜27節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
マルコによる福音書13章は小さな黙示録、小黙示録と呼ばれるほど、終末論を扱った有名な個所です。特に先ほどお読みしました個所には、終末の出来事のうちのクライマックスとも言える、人の子の来臨について述べられています。ここでいう人の子の来臨というのは、イエス・キリストご自身の再臨のことであると普通には考えられています。
さすがにここまで事態が進めば、誰の目にも終末が到来したことが明らかになります。
さて、きょうお読みした個所には二つのまとまりがあります。前半には宇宙で起こる大きな変化が記されます。後半は再び来てくださる人の子であるイエス・キリストの来臨についてです。
まずはじめに、前半の部分から見てみたいと思います。
ここには、今までイエス・キリストが終末についてお語りになってきたこととは違って、終末のときまでの諸々の前兆ではなく、終末の時の山場となるような出来事が記されています。
「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。」
イエス・キリストは終末の時が訪れるに先立って起こるもろもろの前兆についてすでに語って来ました。それは戦争や地震や飢饉、また弟子たちが捕らえられて受ける苦しみ。そしてさらには、今後も決してないほどの苦難…「このような苦難の後で」とイエス・キリストは語ります。
今まで述べてきた様々な前兆は「まだ世の終わりではない」「産みの苦しみの始まり」でしかありませんでした。このような苦難のあと、天体に大きな変化が現れるとイエス・キリストは語ります。
「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。」
このような終末の出来事を、聖書の別の個所では「万物が新しくなるその時」と呼んでいます(使徒3:21)。終末と言うのは、ある意味では破滅の時ですが、ある意味では万物が新たにされるときでもあるのです。古い天と地が過ぎ去り、新しい天と地が与えられる時です。
イエス・キリストが語る宇宙に起こる大異変は、まさに、この万物が新たにされることを物語っています。
太陽が暗くなったり、月が光を放つのをやめたり、星が空から落ち、天体が揺り動かされるという光景を描くのは、終末の出来事を描く時に必ずと言っていいほど出てくる表現です。それが文字通りのことなのか、それとも象徴的な表現なのか、はっきりとはしません。ただ、キリストの教えの聞き手にとっては、戦争や飢饉や地震が現実であるのと同じくらい、現実的なこととして受け取られたことは間違いありません。また、それは、イエス・キリストの言葉を信じるわたしたちにとっても同じことです。
さて、このような天で起こる大きな変化の最中で、「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る」とイエス・キリストは述べます。太陽も月も星もその輝きを失い、光のない真っ暗な世界に、真の光であるイエス・キリストの栄光の輝きが輝きわたるのです。やってくる人の子とはイエス・キリストご自身に他なりません。だれか他の人物のことを言っているのではなく、まさにイエス・キリストご自身がやってこられるのです。
この雲の上に乗ってやってくる人の子についての預言は、旧約聖書ダニエル書7章から由来していることはまちがいありません。
ダニエル書によれば、この人物は権威と威光と王権を受けて、諸国、諸族、諸言語の民を支配するお方です。このお方のもとに地の果てから選民たちが召し集められます。
選民を呼び集めるために再び来てくださるご自身の姿こそ、イエス・キリストが物語る終末の出来事の頂点なのです。
終末についての教えは、戦争や飢饉や地震についての教えではありません。宇宙が揺り動かされて、滅び去ることの教えでもありません。それは新しくされた天と地で、キリストのもとに召し集められた者たちが一つの民としてキリストのもとに生かされることにかかわる教えなのです。キリストが再び来てくださることの中にこそ、わたしたちの希望があります。「アーメン、主イエスよ、来てください」(黙示録22:20)
この希望によってこそ、歴代の教会もそこに集うクリスチャンたちも、様々な苦難や迫害を耐え忍んできたのですね。