2017年1月19日(木) 苦難と慰め(2コリント1:1-7)
ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
今週から新しい聖書の個所に入ります。今回取り上げるのは、パウロがコリントの教会へ宛てた第二の手紙です。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 コリントの信徒への手紙二 1章1節〜7節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと、兄弟テモテから、コリントにある神の教会と、アカイア州の全地方に住むすべての聖なる者たちへ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。あなたがたについてわたしたちが抱いている希望は揺るぎません。なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、わたしたちは知っているからです。
初めに、いつものことですが、手紙の書き出しには、基本的な情報が記されています。まずは、そこから見ていきたいと思います。
この手紙の差出人は、パウロとテモテです。
パウロはいわゆるキリストの十二弟子のひとりではありませんでした。しかし、復活のキリストと出会い、キリストから派遣された者、という意味では、ほかの使徒たちと少しも変わることはありません。けれども、この手紙の中にも後で出てきますが、パウロの使徒としての権威に対して疑いをもった人たちがコリントの教会にはいたようです(2コリント10章11章)。そういう教会に宛てて「神の御心によってキリスト・イエスの使徒されたパウロ」と自分を名乗るのは、ほかの教会に宛てて同じように名乗るのとは、違った重みがここにはあります。
差出人に名前を連ねているテモテという人物は、パウロが二回目の伝道旅行をするときから行動を共にするようになった人物です。コリントの教会がパウロによって開拓伝道されるときにも、シラスとともにパウロを助けた人物として知られています(使徒言行録18:5)。コリントの信徒へ宛てた第一の手紙には、手紙に先立ってコリントにテモテを派遣したことが記されています(1コリント4:17)。そういう意味で、テモテはコリントの教会によく知られていたということができます。
手紙の宛先は、コリントにある神の教会と、アカイア州の全地方に住むすべての聖なる者たちです。
教会があったコリントという都市は、古くから交通の要所であり、通商の中心地として知られていました。ギリシャ本土とペロポネソス半島を結ぶ、東西に細長い狭い地形の都市でした。西にコリント湾、東にはサロニケ湾があり、湾に挟まれた格好をしています。
コリントには神々を祭った神殿と大きな広場がありました。大変栄えた都市でしたが、「コリンシアゾマイ」つまり「コリント風に生きる」という言い方は、性的に乱れた生き方をすることを指すようになるほど、性的に乱れた町でした。そういう都市の中にある教会として、コリントにある教会は取り巻く環境に大きな影響を受けた教会ということができます。
さて、パウロはこの教会を、「神の教会」と呼んでいます。パウロはたくさんの手紙を書きましたが、宛先のところで、「神の教会へ」という表現を使っているのはコリントに宛てた二通の手紙の中だけです。「教会」とは、もともとは召し出された集会という意味ですが、その集会を招集しておられるのは、「神」に他ならない、という思いがここには特に込められています。コリントの教会が、パウロにとってどれほど悩みの種であったかは、この二通の手紙を読むとわかる通りですが。しかし、パウロは、「神の教会」として、この手紙の受取人と向き合おうとしています。その様子が、この言葉から読み取ることができます。
3節から手紙の本文に入りますが、今日取り上げた個所には「苦しみ」「苦難」という言葉とともに「慰め」という言葉がキーワードのように繰り返し出てきます。
パウロは手紙の本文で開口一番、「慈愛に満ち、慰めを豊かにくださる神」と神を表現し、この神をたたえる言葉で手紙を書きだしています。
パウロが、どのような体験を通して、神を「慰めの神」として意識するようになったのかは、ここにはまだ具体的には記されていません。ただ、「あらゆる苦難に際して」と記されているとおり、一つや二つの経験を通してというのではなく、幾度となく繰り返される苦難の体験の中で神を「慈愛と慰めの神」として理解するようになったということでしょう。
しかし、あらゆる苦難を通して、人は必ずしも、神を「慈愛と慰めの神」と理解するとは限りません。神の御前で苦難の積極的な意味について、一人の信仰者として考えるとき、初めてそこに神の慈愛と慰めを発見することができるようになるということです。
しかし、それだけではありません。「慈愛と慰めの神」に出会うことによって、あらゆる苦難の中にある人たちを慰めることができるようになった、とパウロは記しています。それは単に「同類相憐れむ」という意味ではありません。同じ境遇を体験して、相手の立場を共感できるようになった、というのでもありません。もちろん、相手の境遇に共感し、寄り添うことはとても大切であることは言うまでもありません。
しかし、ここでパウロが語っているのは、自分が生み出す慰めではなく、神からくる慰めをもって他の人たちを慰めることができるようになったということです。もとより、人が体験する苦難は、人それぞれに違ったものです。あらゆる苦難の中にある一人一人を励まし慰めることなど、人にはできません。ただ、誰かを慰めることができるとしたら、それは、自分を慰め励ましてくださった慈愛と慰めの神が、その人にも働きかけてくださることを確信しているからにほかなりません。
さらに、言えば、パウロがここで語っているのは、キリストと結びついた苦難と慰めです。クリスチャン個人の悩みや苦しみというよりは、キリストの体なる教会として苦しみや慰めが語られているということです。キリストにあってともに苦しみ、キリストにあってともに慰めを受けるその恵みの中に、神はわたしたちを置いてくださっているのです。