2013年11月21日(木)神の国の福音宣教は続く(使徒28:23-31)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 世界三大宗教と言えば、キリスト教、イスラム教、仏教の三つを指して言います。ちなみに信徒の数の多さでトップスリーを挙げれば、仏教徒よりも二倍以上多いヒンドゥー教が、キリスト教、イスラム教に次いで三位に入ります。しかし、世界への広がり、多民族への広がりと言った普遍性のことを考慮すると、世界三大宗教は、先ほども述べたとおり、キリスト教、イスラム教、仏教の三つに限られます。その中でもキリスト教が占める割合は他を抜きんでています。
 他の二つの宗教のことはともかくとして、キリスト教がより多くの人たちに広まった一つの要因は、教会が福音の宣教を自分たちの大切な使命と意識していたからにほかなりません。
 きょうで使徒言行録の学びは最後になりますが、この書物は、福音を伝えて止まない弟子たちの姿が描かれていました。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 28章23節〜31節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 そこで、ユダヤ人たちは日を決めて、大勢でパウロの宿舎にやって来た。パウロは、朝から晩まで説明を続けた。神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しようとしたのである。ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはしなかった。彼らが互いに意見が一致しないまま、立ち去ろうとしたとき、パウロはひと言次のように言った。
「聖霊は、預言者イザヤを通して、実に正しくあなたがたの先祖に、語られました。
『この民のところへ行って言え。
 あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、
 見るには見るが、決して認めない。
 この民の心は鈍り、耳は遠くなり、
 目は閉じてしまった。
 こうして、彼らは目で見ることなく、
   耳で聞くことなく、
 心で理解せず、立ち帰らない。
 わたしは彼らをいやさない。』
だから、このことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです。」
パウロは、自費で借りた家に丸2年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。

 皇帝に上訴するためにローマに向かうパウロの旅を、今まで使徒言行録から学んできました。当然、この裁判の結果がどうなるのか、読者にとっては気がかりです。パウロは晴れて無罪を勝ち取るのか、それとも有罪の判決を受けて投獄されたままに終わってしまうのか、その結果を知ろうとして、使徒言行録の最終章を読む読者にとって、使徒言行録の結末ほど読者の期待をはぐらかす終わり方はありません。
 ひょっとしたら、使徒言行録の著者は、事の結末を見ないまま亡くなってしまったのではないか、とさえ思いたくなります。しかし、どう考えても使徒言行録の著者が、パウロのその後を知らないとは思えません。
 というのも、使徒言行録が書かれたのは、少なくともルカによる福音書の執筆よりも後の時代です。そして、ルカによる福音書が書かれたのは、少なくともマルコによる福音書が世に出回るよりも後の時代です。マルコによる福音書が書かれたのは60年代のことですから、どんなに早く見積もったとしても、使徒言行録を書いている時点では、おそらくパウロ自身はすでに殉教の死を遂げていたと思われます。その事実を使徒言行録執筆の時点で著者が知らなかったとは考えられません。

 皇帝への上訴の結末がどうなったのか、という読み方は、わたしたちの関心から出た読み方であって、使徒言行録の著者がわたしたちに伝えようとしている事柄とは違います。

 使徒言行録の著者は、この書物の最後を、再びユダヤ人に対して福音を弁明するパウロの姿を描いて終わらせています。ローマのおもだったユダヤ人たちが、パウロの口から直接キリスト教という分派について聞きたいと願ったことがきっかけでした。
 しかし、使徒言行録はパウロがキリスト教の福音をどう弁明したのか、その詳しい内容には触れません。それはすでにこの書物の別の個所で何度となく要約されてきたからでしょう。ただ使徒言行録は、パウロがモーセの律法や預言者の書を引用しながら福音を弁明したことを伝えています。ユダヤ人たちが「分派」と呼ぶところのものが、実は聖書の本流であることを立証するためでしょう。
 実際、パウロがエルサレムで同胞のユダヤ人から訴えられたのは、パウロが宣べ伝えている教えが、モーセの律法から逸脱したものであると誤解されたからです。相手がユダヤ人である場合、モーセの律法と預言の書からの引用は、自分たちの信じるものが正統な教えであることを主張するために欠かすことができないものでした。

 では、朝から晩まで続いた福音の弁明の結果はどうだったのでしょうか。今までにないめざましい結果をローマのユダヤ人たちにもたらしたのでしょうか。そうではありませんでした。相変わらず、ある者はパウロの言うことを受け入れましたが、他の者は信じようともしなかったのです。パウロにとってそれは決して予想外の出来事ではありませんでした。意見の一致しないままに立ち去ろうとする人々に対して、パウロはイザヤの預言から引用して、まさに預言の言葉の通りであると指摘します。そして、このローマでも神の救いが異邦人に向けられていることをユダヤ人たちに告げます。それは、かつて小アジアのユダヤ人たちの間でも、またギリシアのユダヤ人たちの間でも、パウロが確信したことでした。

 このように一部のユダヤ人たちは福音に心を閉ざしましたが、しかし、復活のイエスを宣べ伝えるパウロの働きは、このローマで閉ざされたわけではありませんでした。使徒言行録の結びの言葉は、こうです。

 「パウロは、自費で借りた家に丸2年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」

 全く自由に、何の妨げもなく教え続けたのです。

 使徒言行録は、そのはじめの章で、父のみもとにお帰りになるイエス・キリストのお言葉を記しました。

 「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

 この使徒言行録が、関心をもって書き綴ってきたことは、パウロの生涯ではありません。使徒言行録の関心は、イエス・キリストのあの言葉が、約束通りに実現していく様子です。その進展を誰も妨げることはできません。
 使徒言行録が執筆されたとき、おそらくパウロはすでに殉教の死をとげた後だったことでしょう。しかし、使徒言行録の著者にとっては、パウロの死が福音の進展の終わりなのではありません。キリストの約束は今もなお、続いています。地の果てに至るまで、復活のキリストを証し続ける証人によって、神の国の福音が広がっていくのです。