2013年10月3日(木)アグリッパ王の訪問(使徒25:13-22)
ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
パウロがダマスコへ向かう途上で復活のキリストと出会い、回心を体験したときに、パウロのもとへと遣わされたアナニアは、主からパウロについてこんなことを聞かされました。
「あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。」(使徒9:15)。
パウロがイスラエルの人々や異邦人たちにキリストを伝えたことは今までに学んできた通りです。しかし、王の前でキリストの福音を語る機会は、今まで一度も訪れることはありませんでした。その機会がいよいよやってきます。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 25章13節〜22節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
数日たって、アグリッパ王とベルニケが、フェストゥスに敬意を表するためにカイサリアに来た。彼らが幾日もそこに滞在していたので、フェストゥスはパウロの件を王に持ち出して言った。「ここに、フェリクスが囚人として残していった男がいます。わたしがエルサレムに行ったときに、祭司長たちやユダヤ人の長老たちがこの男を訴え出て、有罪の判決を下すように要求したのです。わたしは彼らに答えました。『被告が告発されたことについて、原告の面前で弁明する機会も与えられず、引き渡されるのはローマ人の慣習ではない』と。それで、彼らが連れ立って当地へ来ましたから、わたしはすぐその翌日、裁判の席に着き、その男を出廷させるように命令しました。告発者たちは立ち上がりましたが、彼について、わたしが予想していたような罪状は何一つ指摘できませんでした。パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。わたしは、これらのことの調査の方法が分からなかったので、『エルサレムへ行き、そこでこれらの件に関して裁判を受けたくはないか』と言いました。しかしパウロは、皇帝陛下の判決を受けるときまで、ここにとどめておいてほしいと願い出ましたので、皇帝のもとに護送するまで、彼をとどめておくように命令しました。」そこで、アグリッパがフェストゥスに、「わたしも、その男の言うことを聞いてみたいと思います」と言うと、フェストゥスは、「明日、お聞きになれます」と言った。
きょうの箇所は、アグリッパ王とその姉妹ベルニケが、着任したてのフェストゥスを表敬訪問したときの話です。ここに登場するアグリッパ王は、アグリッパ二世のことです。ヘロデ大王のひ孫にあたる人物で、父親のアグリッパ一世は使徒言行録12章に記されている通り、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺し(使徒12:1-2)、その後急死した人物です(12:23)。また自分の姉妹にあたるドルシラは使徒言行録24章24節以下に出てくる総督フェリクスの妻となった人でした。そして、きょう一緒に登場するベルニケはアグリッパ二世のもう一人の姉妹にあたる人物ですが、実の姉妹でありながらアグリッパ一世とは不倫関係にあったと噂されていました。
アグリッパ二世はクラウディウス帝の宮廷で育ったので、ユダヤ人というよりは中身はローマ人といってもよいくらいです。父アグリッパ一世が亡くなったのは44年のことで、アグリッパ二世はその時まだローマ遊学中の16歳でした。王の称号を与えられたのは53年のこと、つまり父親の死後9年たってからでした。
総督フェストゥスがフェリクスの後任としてやってきたのは59年か60年のことですから、アグリッパ二世が王となってから6、7年がたちます。それでもまだ30歳になるかならないかという年齢です。
当時のユダヤはローマの属州で、王とは言っても、ローマから派遣される総督を拒むことなどできる立場ではありませんでした。
さて、アグリッパ二世とベルニケは新任の総督フェストゥスに敬意を表するために、総督の住むカイサリアを訪れます。数日にわたる滞在であったため、フェストゥスはパウロの件をこの二人に話します。というのも、パウロが自分の件を皇帝に上訴したのはよいものの、フェストゥスとしては、どんな罪状でパウロを皇帝のもとに護送したらよいものか、考えあぐねていたからです。
フェストゥスはさっそくことの次第をアグリッパ王に話します。
とにかく祭司長たちや長老たちはパウロを有罪だと訴えているのに、その罪状を示すことができないというのです。フェストゥスが見るところ、それはどうみてもユダヤ人たちの宗教に関する争いであるようにしか思えません。エルサレムで裁判を受けるようにパウロに提案してみても、パウロは皇帝への上訴を望むばかりで、埒があきません。そんなことの次第を語っていると、アグリッパ王自身がパウロとの面会を希望してきます。
ところで、この記事を読んでいてちょっと不思議に思うのは、いったい使徒言行録の著者は、この会話の詳細をどこから手に入れてきたかということです。というのも、その場にいた本人たちしか知りえない内容のことを、使徒言行録は記録しているからです。特に使徒言行録の著者は、前回取り上げた箇所では、フェストゥスがパウロを促してエルサレムで裁判を受けさせようとしたのは、ユダヤ人から気に入られるためであったと自分の観測をしるしているのに対し(使徒25:9)、今日の個所ではフェストゥス自身の口で、それは「調査の方法がわからなかったので、『エルサレムへ行き、そこでこれらの件に関して裁判を受けたくはないか』と言った」と言わせています。もちろん、フェストゥス自身が、「ユダヤ人に気に入られようとしてやった」とは言うはずがありません。ここに記されているとおり、調査の方法が分からないために、エルサレムで裁判をうけた方が良いと思ってそう提案したのでしょう。ただ、その胸の内をアグリッパ王に明かしているフェストゥスの言葉を、使徒言行録の著者はどのようにして知り得たのでしょうか。
もちろん、その場にはフェストゥスとアグリッパとベルニケだけしかいなかったとは断定できません。
それともう一つ、フェストゥスの前でパウロを訴え出るユダヤ人たちの記事は、既に25章5節以下で学んでいます。そこには、ユダヤ人たちはパウロに対して重い罪状をあれこれ言いたてたとしか記されていません。いったい何が論点なのかさえ分からない書き方です。
しかし、きょうのフェストゥスの言葉には、ほんとうの争いがどこにあるのか、かなりはっきりと記されています。それは突き詰めれば、死んでしまったはずのイエスが、今なお生きていると、パウロが主張しているということです。
フェストゥスにとっては、イエスの復活はどうでもいい話であったかもしれません。彼が言うとおり、それはユダヤ人の宗教に関する問題にすぎないとしか、フェストゥスの目には映らなかったかもしれません。
しかし、このことを聞いたアグリッパ王は、この話に興味を示し、パウロに会って話を聞いてみたいと申し出ます。もちろん、それは単なる好奇心であったかもしれません。しかし、このようにして、主が予め語った通り、パウロは王に対してキリストの福音を伝える機会を得ることになるのです。