2013年8月1日(木)異邦人伝道に召されたパウロ(使徒22:17-21)
ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
ここ何年か、グローバルという言葉をよく耳にします。特に産業のグローバル化とか、グローバル企業といった言葉がニュースの話題になります。グローバルという言葉には地球規模で物事を一体的に捉えるという発想があります。そう言う意味では、インターナショナル(国際的)という言葉と似ているようで、本質的に違う言葉です。
キリスト教会は初代教会の時代から、グローバルな存在でした。それは早い時期から自分たちが民族を超えた宗教であることを自覚していたからです。確かに教会の中にはユダヤ人と異邦人の区別はありましたが、しかし、異邦人をユダヤ人化することがキリスト教宣教の目的ではありませんでした。まさにキリスト教会が宣べ伝えていたのは、民族の枠組みを超えた世界規模の救い主だったからです。
きょうはパウロの弁明の続きを取り上げますが、きょうのところで、パウロ自身の口を通して、自分が異邦人のための宣教者として召しだされた次第が語られています。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 22章17節〜21節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
「さて、わたしはエルサレムに帰って来て、神殿で祈っていたとき、我を忘れた状態になり、主にお会いしたのです。主は言われました。『急げ。すぐエルサレムから出て行け。わたしについてあなたが証しすることを、人々が受け入れないからである。』わたしは申しました。『主よ、わたしが会堂から会堂へと回って、あなたを信じる者を投獄したり、鞭で打ちたたいたりしていたことを、この人々は知っています。また、あなたの証人ステファノの血が流されたとき、わたしもその場にいてそれに賛成し、彼を殺す者たちの上着の番もしたのです。』すると、主は言われました。『行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。』」
今取り上げている個所は、第三回の宣教旅行を終えたパウロが、異邦人教会で集めた救援金を携えて、エルサレムにのぼったときに起こった出来事を記した個所です。このときユダヤ人たちから誤解を受けたパウロは、暴動に巻き込まれて、危うく命を落としそうになります。しかし、治安維持に当たっていたローマの軍隊によって助け出され、そればかりか命を狙うユダヤ人に対して弁明の機会さえも与えられることになります。今、そのパウロの弁明の言葉から学んでいます。
パウロは自分の弁明の最後に、自分が異邦人に対するキリスト教の宣教者として召し出された次第を語っています。自分がキリスト教の宣教者として召し出されたことを弁明の最後に語るのには理由がありました。それは、かつてはキリスト教の迫害者として活躍したパウロが、今やその教えの宣教者として聴衆の目の前に立っていることの意味を、同胞のユダヤ人たちに考えさせるためでした。
パウロがキリスト教の迫害者であったという事実は、いくらでも証言を得られるまぎれもない事実です。たとえ迫害者であった時代のパウロを知らない人であったとしても、パウロがどんなむごい迫害に手を染めていたかは、それを見聞きした人たちから直接聞くことができる事実だからです。
他方、かつて迫害していたキリスト教を、パウロが今やその信奉者として宣べ伝えている事実は、群衆自身がその証言者となれるほどに明白な事実です。
いったいこの180度ちがう方向へとパウロを進路変更させたものは何だったのでしょう。そのことを真剣に考えるならば、答えはおのずと明らかです。
厳格なファリサイ派の教育を受け、しかも、キリスト教迫害の急先鋒に立っていた人物が、キリスト教を宣べ伝える側に立ったとすれば、それはよほどのことがなければあり得ないことです。パウロ自身が、この弁明の中で述べているとおり、迫害者であったパウロ自身が、主の証人になれとの主からの命令に戸惑いを感じているのです(使徒22:19)。単なる気まぐれや、だれか知り合いの頼みで仕方なく、といったような、そんな軽々しい理由ではあり得ないことです。
その「何か」について、パウロはそれが主から不思議な仕方でもたらされた使命であると弁明してます。確かにパウロには、キリスト教に転向する理由などほかに見出すことはできません。むしろ、今パウロが置かれている状況からも分かる通り、苦難と危険しか報われない境遇にいるのですから、人間的に考えれば、パウロにはキリストの証人とならなければならない理由などどこにもありません。まして異邦人のための証人にならなければらない理由は、パウロにはどこにもありません。ですから、主によって召された、というパウロの証言には、かえって真実が感じられます。
ところで、先週取り上げた個所にも、アナニアの口を通して、パウロがすべての人に対する復活のキリストの証人となることが告げられていました。
きょう取り上げている出来事は、それからさらに時間が経ってからの出来事です。「エルサレムに帰って来て」とありますが、パウロ自身が書いたガラテヤの信徒への手紙では、ダマスコ途上での出来事から、少なくとも三年以上の時間がたってから、初めてエルサレムに戻っています(ガラテヤ1:18)。それくらいの歳月の流れが、この話の背後には流れています。
エルサレムに戻った時に、パウロは「我を忘れた状態になって」主に会ったと証言しています。我を忘れた状態というのは、「エクスタシス」というギリシア語で、英語のエクスタシー、恍惚状態という言葉の語源になる言葉です。すでに使徒言行録の10章10節で、ペトロがヤッファで祈りの時間に屋上で幻を見た時にも、この言葉が使われています。全く意識を失った状態というのではなく、…もしそうであれば、主に出会ったことも覚えていないでしょう。…そうではなく、この地上にいる自分を意識しないという意味で、我を忘れた状態なのです。
それが具体的にどういう状態であったのかは、パウロ本人しか語ることができませんから、これ以上の説明は必要ないでしょう。ただ、この時の出来事のことを語っているのかどうかは特定できませんが、パウロはコリントの信徒への手紙二の12章で第三の天、楽園にまで引き上げられた人のことを語っています。これはパウロ自身の経験を語ったものだと言われていますが、それを語るパウロは、その経験が体のままか、体を離れて起こったのか、自分でもわからないと語っているほどです。それほどに言葉にするには難しい体験であったということです。
おそらく実際には「我を忘れた状態になって」という一言では語りきれない経験だっただろうと想像されます。
その不思議な体験でパウロが耳にした言葉は、「行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ」という主イエスからの言葉でした。
パウロにとって、どんな危険な目にあっても、この主から命令は、否定することも動かすこともできない事実なのです。この主からの命令に従って生きているパウロ自身のその生き方が、復活の主が生きておられることを雄弁に語っているのです。