2013年6月27日(木)主の御心が行われますように(使徒21:7-16)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 クリスチャンたちの会話の中で、よく耳にする言葉に、「神の御心であると確信して」というフレーズがあります。たとえば、ある教会の活動で、新しい伝道地に新しい教会を建てるときに、「この新しい場所での伝道が神の御心であることを確信して、この新しい伝道活動を始める」といった使われ方がします。
 こう書いてしまうと、いとも簡単に神の御心を知りえるような印象を抱くかもしれません。実際には神の御心を、そんなに簡単な方法で知ることができるものではありません。
 実はきょうの個所には、何が主の御心であるのか、という問題に直面する教会の姿が描かれています。いったいどのようにして、教会は神の御心を求め、それに従って行ったのでしょうか。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 21章7節〜16節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 わたしたちは、ティルスから航海を続けてプトレマイスに着き、兄弟たちに挨拶して、彼らのところで一日を過ごした。翌日そこをたってカイサリアに赴き、例の七人の一人である福音宣教者フィリポの家に行き、そこに泊まった。この人には預言をする四人の未婚の娘がいた。幾日か滞在していたとき、ユダヤからアガボという預言する者が下って来た。そして、わたしたちのところに来て、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言った。「聖霊がこうお告げになっている。『エルサレムでユダヤ人は、この帯の持ち主をこのように縛って異邦人の手に引き渡す。』」わたしたちはこれを聞き、土地の人と一緒になって、エルサレムへは上らないようにと、パウロにしきりに頼んだ。そのとき、パウロは答えた。「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、「主の御心が行われますように」と言って、口をつぐんだ。数日たって、わたしたちは旅の準備をしてエルサレムに上った。カイサリアの弟子たちも数人同行して、わたしたちがムナソンという人の家に泊まれるように案内してくれた。ムナソンは、キプロス島の出身で、ずっと以前から弟子であった。

 今学んでいる個所は、三回目の宣教旅行を終えて、エルサレムに向かうパウロたち一行の旅の記事です。前回はティルスに到着した一行が、船の都合でそこに七日間滞在した記事を取り上げました。きょうの個所はティルスを出発して、プトレマイスを経由しカイサリアに赴く一行の旅の記事です。

 プトレマイスはティルスから海岸沿いに南に40キロほど下った港湾都市で、旧約時代にはアッコの名前で呼ばれていました。プトレマイスの南側にはアッコ湾が広がり、その南にカルメル山がそびえたっています。
 このプトレマイスではこの後に起こるユダヤ戦争の時に2千人のユダヤ人が殺されたことが、ヨセフスの歴史書に記されています。

 さて、このプトレマイスにも主を信じる兄弟たちがおり、パウロたち一行はそこで一日を過ごしてから、翌日再び船に乗ってカイサリアに向かいます。カイサリアはプトレマイスより海岸沿いにさらに直線距離で50キロほど南に下ったところにある大きな港湾都市で、地中海交易の終着点でもありました。カイサルの名前の示す通り、アウグストゥスとティベリウスの両皇帝を記念して建てられた都市でした。

 使徒言行録によれば、カイサリアへの伝道はフィリポとペトロとによってなされています(8:40、10:23-24)。きょうの記事にもある通り、フィリポはこのカイサリアに家をもっていました。
 このフィリポについてここでは、「例の七人の一人」と呼ばれています。すでに学んだ通り、もともとは使徒たちが祈りと御言葉の奉仕に専念できるようにと立てられた七名の人たちで、そのころ起こった日々の分配のことでの問題を解決するために立てられた人々でした。。

 きょうの個所ではフィリポは新たに「福音宣教者」という名前で呼ばれています。この「福音宣教者」という呼び名は、新約聖書の中ではここを含めて三回出てくる称号です(エフェソ4:11、2テモテ4:5)。すでにこの名称が厳密な意味での教会の職務として定着していたのかどうかは定かではありませんが、テモテもこの名前で呼ばれています(2テモテ4:5)。また、エフェソの信徒への手紙の中では、「使徒」、「預言者」に次いで、「福音宣教者」の名称が、「牧者」「教師」の前に挙げられています。

 さて、このフィリポの家に滞在していた時に、アガボという預言者がユダヤからやってきて、エルサレムでパウロの身に起こることを預言します。その預言の内容はユダヤ人たちがパウロを束縛して異邦人の手に引き渡すというものでした。

 これを聞いた人々は、パウロをエルサレムには上らせないようにしようと考えました。なぜなら、このことは必ず起こることとして、神が聖霊を通して預言者アガボに告げられたことと理解したからです。もちろん、神からの預言が告げられる前に、既にユダヤ人の陰謀があることは、アカイア州からシリアに向けて船出しようとしたときにも発覚していますから(使徒20:3)、この預言は決して根拠のないたわ言とは思われませんでした。危険が迫っていることが確かであるならば、それを回避した方がパウロ自身のためにも、また、これからの宣教活動にとっても有益と考えたからでしょう。

 ところが、パウロ自身はエルサレムに向かうことをやめようとはしません。それはこの預言を無視したからではありません。そうではなく、自分の身に起ころうとしている預言の言葉と受け止めたうえで、なお、エルサレムに上っていくことが神の御心であると確信したからです。

 止めようとする者も、行こうとするパウロもどちらも主の御心がどこにあるのか、真剣に考えての発言であることは疑う余地もありません。しかし、このままでは両者の溝が深まるばかりです。
 パウロの固い決意を知った人々はやがてこう述べて歩み寄ります。

 「主の御心が行われますように」

 わたしたちにとって主の御心がどこにあるのかを正確に知ることはできないかも知れません。しかし、わたしたちの願いは、自分の思いの実現ではなく、主の御心が実現することにこそあるのは明らかです。主の御心がなるようにと願う謙遜な思いをいつも抱いていることの大切さを思います。「主の御心が行われますように」…この祈りのあるところに、主の御心が明らかにされていくのではないでしょうか。