2013年6月20日(木)ティルスでの信仰の交わり(使徒21:1-6)
ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
イエス・キリストを信じる人々と過ごすときに、不思議な連帯感を感じる時があります。これは、わたしの主観的な体験にすぎないと言われてしまえばそれまでですが、今までいろいろなところへ行って、そう感じました。
国内でも海外でもそうですが、今まで一度も会ったことのない人たちに対してさえも、同じ主イエスを信じているという連帯の思いからか、昔からの友達にでも会ったような打ち解けた気持ちになります。
さて、きょう取り上げようとしている個所は、三度目の宣教旅行の終着点であるエルサレムに向かうパウロたち一行の旅の様子です。そこには見知らぬ土地に立ち寄ったパウロたちと、その土地のクリスチャンたちとの主にある美しい交わりが描かれています。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 21章1節〜6節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
わたしたちは人々に別れを告げて船出し、コス島に直航した。翌日ロドス島に着き、そこからパタラに渡り、フェニキアに行く船を見つけたので、それに乗って出発した。やがてキプロス島が見えてきたが、それを左にして通り過ぎ、シリア州に向かって船旅を続けてティルスの港に着いた。ここで船は、荷物を陸揚げすることになっていたのである。わたしたちは弟子たちを探し出して、そこに七日間泊まった。彼らは”霊”に動かされ、エルサレムへ行かないようにと、パウロに繰り返して言った。しかし、滞在期間が過ぎたとき、わたしたちはそこを去って旅を続けることにした。彼らは皆、妻や子供を連れて、町外れまで見送りに来てくれた。そして、共に浜辺にひざまずいて祈り、互いに別れの挨拶を交わし、わたしたちは船に乗り込み、彼らは自分の家に戻って行った。
ミレトスで一週間を過ごしたパウロたちは、その地を後にして、エルサレムへと船で向かいます。ミレトスを出発した一行は、南へ70数キロ下ったコス島、さらにコス島から南東へ100キロほど行ったロドス島を経由して、アナトリア半島の南端に近いパタラに到着します。途中立ち寄ったこれらの島々は、アナトリア半島からほんの数キロから20キロほどの沖合にある島々ですから、ほとんど陸地を間近に見ながらの航海だったはずです。とはいっても、200キロを超える船旅ですから、大変な船旅であったことは間違いありません。
しかも、船はもともと旅人の都合に合わせて運行されているのではなく、荷物の運搬のために利用されていた船ですから、寄港地で荷物の積み下ろしの時間を待たなければなりませんでした。先にミレトスで一週間滞在したのも、おそらくは船の出発を待たなければならなかったからでしょう。このあと、ティルスで一週間滞在しなければならなかったのも、同じ理由からだったことと思われます。
パウロ自身の都合から言えば、五旬祭までにはエルサレムに到着したかったのですから、早く船が出てくれれば、それに越したことはありません。しかし、寄港地で足止めを食いながら、旅を続けざるを得ませんでした。
パタラで船を乗り継いで、今度は一気にフェニキアのティルスにまで向かいます。一気にといっても600キロ近い船旅です。途中キプロス島の南の沖合を通って目的地のティルスに向かいます。キプロス島はパウロとバルナバが最初の宣教旅行の時に訪れた島で、バルナバ自身の出身地でもありました。しかし、今回はキプロスには立ち寄らず、それは船の都合があったことはもちろんのこと、パウロとしてもエルサレムに急ぐ旅でしたから、当然、通過せざるをえませんでした。
さて、ティルスに到着した一行は、そこで一週間の滞在を余儀なくされます。おそらく、わざわざ一週間の滞在を決めたというのではなく、先程も言いましたように、船の乗り継ぎのためであったでしょう。
ティルスにキリスト教を誰がいつ伝えたのかは、使徒言行録に記録はありませんが、少なくともパウロたちはこの町にキリストを信じる者たちがいることを知っていたようです。さっそく、仲間の弟子たちを探して、そこに滞在しました。かつてステファノの殉教がきっかけとなって、迫害されて散らされていった弟子たちが、フェニキアにも逃れていったという記事が使徒言行録の11章19節にありますから、これらの人たちがティルスの町に福音を宣べ伝えたのでしょう。
さて、ティルスでの滞在は旅の主要な目的ではありませんでしたが、ここに記された僅かな記事から、ティルスにいたクリスチャンたちの信仰生活の様子を垣間見ることができます。
まず、ティルスにいたクリスチャンの群れは、当然ですが、今日のような教会の建物をもっていたというわけではありません。使徒言行録に出てくる教会は、個人の家を開放して集会を持っていた、そういう教会でした。
どれぐらいの数のクリスチャンがいたのかはわかりませんが、少なくとも、パウロたち一行を迎えてお世話するだけの人たちはいただろうと思われます。その一行の人数は20章4節以下に名前が上がっている7名とパウロと、「わたしたち」という人称でこの旅の記事を綴っている人物の、合計9名はいたと思われます。これらの人々をもてなすことができる群れといえば、それなりの人数のいる群れであったに違いありません。
さて、このティルス滞在の出来事で、注目すべきことが二つあります。
一つは、パウロのことを心配して、ティルスの信徒たちは、エルサレムへ行かないようにと、パウロに繰り返し言ったということです。しかも、彼らがそうしたのは「”霊”に動かされ」てだと使徒言行録は述べます。おそらくその意味するところは、感情に流されて、という意味ではなく、「聖霊によって示されて」という意味でしょう。
しかし、聖霊によって示されたにもかかわらず、パウロがエルサレムに行ったのだとすれば、パウロの決断は神の御心に逆らった決断という事になるのでしょうか。
おそらく、そうではないでしょう。ティルスの信徒たちが「”霊”に動かされて」と言われているのは、エルサレムに行かないようにということを聖霊によって示された、というわけではなく、パウロが遭遇する危険を聖霊によって示され、その示しに動かされて、パウロにエルサレムに行かないようにと勧めたのでしょう(使徒21:11-12参照)。
これは短い記事ではありますが、パウロにとっても、ティルスの信徒たちにとっても、神のみ心を祈り求めなければならないほどの大きな事柄です。パウロにとってエルサレムに行くこと、さらにはローマにまで足を伸ばす計画は聖霊の導きと確信してきた事柄だからです。
対立する意見の中で、聖霊の声を聞き分ける真剣さを覚えます。
もう一つティルス滞在の記事で注目に値するのは、パウロたちを見送るときに「彼らは皆、妻や子供を連れて、町外れまで見送りに来てくれた」ということです。ティルスの町のクリスチャンたちが一家をあげて主を信じていた様子を垣間見ることができます。キリストを信じるということは、個人の信仰ではありますが、しかし、決して個人の宗教なのではありません。彼らは一家を上げて主に従うことを望んでいたのでしょう。