2013年5月9日(木)宗教と利益と貪欲と(使徒19:21-27)
ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
歴史の古い国では、どこの国に行っても、その国を代表する偉大な建築物の一つは、たいてい宗教的な施設である場合がほとんどです。その場合、その偉大な建築物にかかわった人々の信仰心の大きさを見るような思いがします。
しかし、うがった見方をすれば、いったいどれだけの権力がその偉大な建築事業の背景に関わり、どれだけの犠牲が庶民に押し付けられたのか、という思いもします。もちろん、こういうものの見方は、大変失礼な見方であることはわかっております。しかし、宗教に財力や権力が結びつく危険があることは、過去の歴史が示していることでもあります。
さて、きょう取り上げようとしている個所には、世界の七不思議とまで言われたエフェソのアルテミス神殿に関わる話が出てきます。その神殿で利益を上げていた人々にとって、キリスト教の驚異がどのようにうつったのか、大変興味深い記事です。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 19章21節〜27節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、「わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない」と言った。そして、自分に仕えている者の中から、テモテとエラストの二人をマケドニア州に送り出し、彼自身はしばらくアジア州にとどまっていた。
そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった。そのいきさつは次のとおりである。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」
パウロの三度目の宣教旅行から学びを続けていますが、今回もエフェソでの出来事から学びます。
先ほどお読みした個所には、宣教計画についてのパウロの決意が記されていました。一つには、マケドニア州とアカイア州を通ってエルサレムに行こうという計画の決心です。もう一つは、それを遂げた後にローマにも赴こうとする計画の表明です。
まず、このパウロの決意が述べられている時期に注意を払う必要があります。使徒言行録は「このようなことがあった後」と書き出しています。「このようなこと」というのは、直前で記してきたエフェソでの伝道の一連の成果です。つまり、ユダヤ人の祈祷師たちの身に起こったことがきっかけで、イエスの御名が大いにあがめられ、信仰を持った者たちが自分たちの罪を告白し、今まで魔術を行ってきた多くの者たちが、その書物を焼き捨て、主のみ言葉がますます広まっていった、そのようなことを指しています。
どんな伝道者にとってもそうだと思いますが、伝道の成果が目に見えて現れ始めたとき、次に何をなすべきか、その判断は簡単ではありません。一方では、さらにその場に留まって、福音を語り続けることに強い使命を感じることでしょう。誰しも、絶好の機会を逃すまいと思うものです。しかし、他方では、さらに別の地でも福音を述べ伝えることに、新たな使命を見出す人もいるでしょう。
パウロはというと、この絶好の機会にいつまでも執着する気持ちはなかったようです。その一つの理由は、エルサレムに戻るという大きな使命があったからです。ここには記されてはいませんが、パウロがエルサレムに戻らなければならないと思っていたのには、つよい使命感があったからです。それは、24章17節でパウロ自身が述べているとおり、エルサレムの貧しい教会のために救援金を届けるという使命があったからです。そのことについてはローマの信徒への手紙の中でも、またコリントの信徒へ宛てた手紙の中でも触れられています。
パウロの宣教によって新しく生れた異邦人の教会が、エルサレムにあるユダヤ人の教会のために救援金を集め、それを届けることは、パウロにとってキリスト教会の兄弟愛と一致とを具体的に示す大切な機会と考えられていました。そういう使命感から、パウロはエルサレムへ戻る決意をします。
しかしそればかりではなく、パウロはその先になすべき計画も立てていました。それはローマにも訪問したいという願いです。ローマは言うまでもなく、ローマ帝国の中心地ですから、ここを訪れることは福音の宣教にとって欠かせないと思うのは当然でしょう。しかし、パウロの描いた宣教の地図は、ローマが最終地点ではありませんでした。ローマの信徒への手紙15章22節以下にも記されている通り、パウロにはスペインにも赴こうとする計画がありました。
さて、使徒言行録はなぜこの段階でパウロの計画をここに記したのでしょうか。もちろん、時間の順序に従って記したと言えばそれまでですが、しかし、それを記さないという選択肢もあったはずです。
おそらく、このあとに記されるアルテミス神殿の銀細工職人たちが起こした騒動のことを考えると、パウロの計画については前もって記しておく必要があったのでしょう。そうでなければ、あたかもパウロはこの騒動をきっかけとしてエフェソを去ってしまったという誤解を与えてしまうからです。
さて、その騒動については次回も取り上げたいと思いますが、きょうはその発端について、お話ししておきたいと思います。
エフェソには豊穣の女神であるアルテミスを祭った偉大な神殿がありました。どの宗教でもそうだと思いますが、にぎわいを見せる宗教施設には、それを取り巻く商売も盛んになります。その場合、そこを訪れる人の便宜を図って盛んになる商売もありますが、その宗教施設に直接あやかる品々を売る商売も盛んになります。たとえば、便宜を図って盛んになるのは、巡礼者たちに宿や食事を提供する商売です。直接かかわる商売は、宗教施設の模型や偶像を造って売る商売です。
今回騒動を起こしたのは、アルテミスの神殿の模型を造る銀細工職人でした。さて、その主張はこう言うものでした。
「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」
ここには、儲けへの懸念が第一に述べられ、神殿の威光が失われることは二の次になっています。宗教の名を語りながら、しかし、現実の利益にばかり心が向かう人間の罪深さをここに見るような気がいたします。