2013年1月31日(木)フィリピでの初穂(使徒16:11-15)
ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
新しく伝道を始めるとき、教会は周到にその計画を立てます。その地域の人口構成、将来の発展性、利便性、既存の宗教や習俗の影響の大きさなど、事前にいろいろと調べます。しかし、どれほどそれらの事前調査が確かなものであったとしても、伝道をする者にとって一番大切なことは、この町がどんなところであれ、ここにも神の民が福音を待ち望んでいる、という確信です。こんな場所には福音を受け入れてくれる人はいないだろうなどと最初から決めつけていたのでは、伝道などできるはずもありません。
伝道する楽しさは、思いもよらない仕方で、思いもよらない人が福音を受け入れるという体験です。このことを通して、どこにでも神の民がいることを神はわたしたちに教えてくださり、伝道の力としてくださいます。
きょう取り上げるフィリピでの伝道にも、人間の思いを超えた神の導きが示されています。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 16章11節〜15節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。。
わたしたちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した。安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。。
前回は、一見小アジアでの伝道が行き詰ったかに見えたパウロたちに、新しい道が開かれた様子を学びました。「開かれた」とは言っても、まだ幻の中でそれを確信しただけで、実際に行ってみるまでは、どんなことが待ち受けているのかは、パウロたちにも分かりませんでした。
パウロたち一行は、アナトリア半島の北西の端、トロアスにある港から船で北西へと海を渡り、ほぼ中間地点にあるサモトラケ島を経由して翌日ネアポリスの港に到着します。おそらく夜はサモトラケ島で停泊したのでしょう。距離にして200キロちょっとの船旅です。船を降りたネアポリスからフィリピまでは12キロほど北西にエグナティア街道を進みます。
マケドニア州の州都はテサロニケですが、フィリピは四つの地区に分けられたマケドニア州のうちの第一区でした。しかし、ほとんどユダヤ人男性が住んでいなかったことは、この町にユダヤ人の会堂がなく、祈りの場しかなかったことからもうかがわれます。もっとも、この場合の「祈りの場」はユダヤ人の会堂を指すとする意見もありますが、そうであるとすれば、使徒言行録がなぜここだけわざわざ「会堂」ではなく「祈りの場」という呼び方をしているのか、という疑問が残ります。やはり、フィリピにはユダヤ人の会堂が無かったのでしょう。
祈りの場がある川岸というのは、フィリピの町の西を流れるガンギテス川のことで、数少ないユダヤ人が集会を持っていた祈りの場は、その川岸にありました。
さて、フィリピで起こった特筆すべき出来事の一つは、この祈りの場にやってきたリディアという女性の回心の記事です。フィリピの地で最初に洗礼を受けたのが女性であったということは、注目に値します。もちろん、ユダヤ人の会堂を建てるほどの数の男性が町にはいないのですから、女性が第一号の洗礼者になるという可能性が高かったというのは、その通りかもしれません。しかし、そうだとしても、ヨーロッパの地での伝道の初穂が、女性であったということは、当時のユダヤ教やギリシア・ローマの世界での女性の地位を考えると、やはり注目に値すべき点です。パウロたちは異邦人伝道を推進したというばかりではなく、女性にも積極的にキリスト教を伝えたということです。
後にパウロがフィリピの教会に宛てた手紙の中にリディアの名前は直接出てきませんが、しかし、この教会では女性たちが積極的に活躍していた様子をフィリピの手紙4章2節以下の記事からうかがい知ることができます。そこではエポディアとシンティケに対して、主において同じ思いを抱くようにとパウロは勧めていますが、言い換えればこの二人は対立するほどに福音のために熱心すぎたということでしょう。それほどにこの教会では後にも女性たちの働きが大きな役割を担っていたということです。
話をリディアに戻しますが、このリディアという婦人が回心する様子を、使徒言行録は「主が彼女の心を開かれたので」と記しています。ここでも使徒言行録は、この出来事を人間的な側面からではなく、その背後に働いておられる神の御業として、このリディアの回心を描いています。パウロが小アジアを離れてマケドニアに渡ったのも神の導きでしたが、そこで福音を伝えるパウロの話にリディアが心を開き、耳を傾けてパウロの話を注意深く聞いたのも、神の働きだったのです。
この出来事は、福音を伝えるということが、どれほど神の助けを必要としているかを教えてくれます。決して人間的な説得力によって人は福音を受け入れるのではありません。そういう意味で、人間の力を誇ることはできませんし、また逆に自分の力不足を感じて、福音を語るのを恐れてもならないということです。聖霊なる神に信頼して、臆することなく福音を語り続ける必要を教えられます。
さて、リディアが洗礼を受けるとき、家族の者も一緒に洗礼を受けたということが記されています。その家族が具体的にどんな構成であったのかは知る由もありません。ただ、そのリディアがパウロたちを自分の家に招いて宿泊させたことを考えると、両親の元に暮らす未婚の女性というよりは、独立した家庭を築く未亡人であったのかもしれません。その場合、一緒に洗礼を受けたのは彼女の子供たちであったかもしれません。あるいは早くに父親を亡くし、残された家族を娘として支える立場にあったのかもしれません。
どんな家族構成であったにしても、福音を受け入れ、イエス・キリストを信じて生きることが、ただリディア一人の個人的な信仰の問題とは考えずに、家族を挙げて信じるに値するものと考えている点で、この一家の洗礼の記事は大きな意義をもった出来事です。
リディアが洗礼を受けた後、最初にしたことは、パウロたちを自分の家に招いて、宿を提供したことでした。この出来事は、一見何でもないことのように描かれていますが、異邦人の、しかも女性の家に出入りするということが、どれほどのインパクトを持った出来事であるかを思うべきです。リディアが「無理に承知させた」と使徒言行録が語っているのは、著者の印象を正直に描いていると思われます。そのようなことを承知するのは確かに無理に近いことです。しかし、そのようなことが受け入れられるようになった背景には、キリスト教的な新しい人間理解が生れていたからにほかなりません。パウロはガラテヤの信徒への手紙3章28節でこう述べています。
「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」