2013年1月17日(木)仲違いで始まる宣教旅行(使徒15:36-16:5)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 お互いに真理を求めて、どうしても分かれてしまうということは、ある程度やむをえないところがあるかもしれません。多少の真理は犠牲にして、妥協で一つになるよりは、ずっと潔いかもしれません。
 もっとも、教会が分かれてしまうのは、いつも真理をめぐる議論からくるとは限りません。感情的な問題や好みの問題、ささいなトラブルから始まって教会が分裂してしまうこともあります。
 きょう取り上げる個所には、今まで仲の良かったパウロとバルナバの間に、ささいなことで亀裂が生じてしまったことが記されています。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 15章36節〜16章5節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 数日の後、パウロはバルナバに言った。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた。そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。そして、シリア州やキリキア州を回って教会を力づけた。
 パウロは、デルベにもリストラにも行った。そこに、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ、テモテという弟子がいた。彼は、リストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い人であった。パウロは、このテモテを一緒に連れて行きたかったので、その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた。父親がギリシア人であることを、皆が知っていたからである。彼らは方々の町を巡回して、エルサレムの使徒と長老たちが決めた規定を守るようにと、人々に伝えた。こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった。

 エルサレムで開かれた教会の会議で、異邦人キリスト者に割礼を施すべきか否かをめぐる議論に決着がつき、異邦人への伝道がさらに進展する状況が整えられた初代キリスト教会でしたが、ここで思わぬ事件が起こります。

 パウロがバルナバに提案した教会訪問の計画で、パウロとバルナバとの間に些細なことで対立が生じます。些細なこととは言いましたが、この二人にとっては決して些細な問題ではなかったようです。二人の間で意見が激しく対立し、ついには別行動をとるにまで至るのですから、これはパウロとバルナバにとっては決して些細な問題ではありません。

 では、どんな問題をめぐって意見が激しく対立したのかということ、提案された諸教会訪問に、マルコと呼ばれるヨハネを連れていくかどうかを巡る議論でした。今回の諸教会訪問の計画にとっては、本質的とは言えない問題ですが、パウロにとっては譲れない大問題でした。というのも、既に13章13節で学んだ通り、バルナバが連れて行こうとしたマルコという人物は、一回目の宣教旅行の時に、途中で一行から離れてしまったからです。そのような人物を再び連れて行くことはできないとパウロは考えました。

 バルナバもそこで折れてパウロの主張に譲ればよかったのでしょうが、そうはいきません。というのも、バルナバにとってこのマルコは、自分の従兄弟だったからです(コロサイ4:10)。誰にとっても、自分の身内が軽んじられるのは面白いことではありません。
 もっとも、バルナバの性格を考えると、たとえマルコが身内の者ではないとしても、同じようにマルコを連れて行こうと考えたかもしれません。というのは、エルサレムの教会の人々から信用されていなかったかつての教会の迫害者パウロを、エルサレムの教会にとりなしたのもバルナバだったからです。バルナバはそういう人柄なのです。
 バルナバは、かつてのことでパウロとマルコの間が冷え切っていることは百も承知だったはずです。そうであればこそ、マルコが汚名を返上して、信頼を回復するチャンスとなるように、敢えてこのマルコをつれて行こうとしたのかもしれません。

 けれども、残念ながらパウロとバルナバはマルコを巡る問題で一つになることができませんでした。結果は二人が別々に教会歴訪の旅に出るということでした。

 それにしても、なぜこのような不名誉な話をわざわざ記す必要があったのでしょうか。もちろん、それが事実であったからということはあるでしょう。しかし、すべての事実を書きしるす必要がいつもあるわけではありません。なんとなれば、このあと使徒言行録の舞台から姿を消してしまうバルナバやマルコのことにわざわざ触れないまま、二回目のパウロの宣教旅行に筆を進めることもできたはずです。
 しかし、そうしなかったのは、福音宣教を推進するのは、人間ではなく聖霊である、ということを際立たせるために、敢えて人間的な弱さや醜さも大胆に描きとどめたのでしょう。
 このあと、この宣教旅行がどのような進展を遂げるかというと、それはパウロが最初に計画したものとは全く違った展開です。パウロはバルナバとマルコと決別することで、自分の理想とする計画を実現したのではなく、かえって聖霊の導くままに、自分の思いを越えた神の宣教の計画に参与していくことになったのです。

 さて、バルナバは自分の従兄弟であるマルコを連れて、自分の故郷であり、最初の伝道旅行の最初の訪問地であったキプロスに向かいます。他方、パウロは、エルサレムの教会がアンティオキアの教会に遣わした指導者であり預言者であったシラスを同行して、陸路を通って一回目の宣教旅行の訪問地を東から西へとあの時とは逆の順序で進みます。
 今回のパウロの旅行の目的は、パウロ自身が語っているとおり、「前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来よう」というものでした。しかし、そればかりではなく、エルサレムの会議で決まったことを異邦人キリスト者たちに伝えて励ますという目的もありました(16:4)。エルサレム教会から派遣されたシラスを同行させたのは、そういう目的もあったからです。

 さて、リストラに着いたパウロはそこでテモテを同行者として新たに選びます。テモテはギリシア人を父に、ユダヤ人を母として生れた人でした。テモテを選んだ理由は、このテモテが人々の間で評判が良かったからです。使徒言行録はパウロがこのテモテに割礼を授けたことを語っています。
 エルサレムの会議が異邦人は割礼を受けなくてもよいことを決めたことから考えると、少しおかしく感じるかもしれません。しかし、テモテはユダヤ人を母としているのですから、純粋な異邦人ではありませんでした。実際、教育はユダヤ人の母エウニケのもとで聖書を学びました(2テモテ1:5、3:15)。エルサレム会議では異邦人が割礼を受ける必要がないことを確認しましたが、ユダヤ人キリスト者が割礼を受けなくてもよいとまでは決めませんでした。パウロがテモテに割礼を授けたのは、ユダヤ人への配慮があったからです。

 このようにして、新しい同行者を得たパウロの二回目の宣教旅行の滑り出しは、「こうして、教会は信仰を強められ、日ごとに人数が増えていった」と結ばれます。しかし、この二回目の宣教旅行は、自由に働かれる聖霊によって、これからもっと思わぬ方向へと展開していくのです。