2012年12月27日(木)救いの条件をめぐる論争(使徒15:1-5)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 教会の中にも様々な論争が起こります。それらの争いは、必ずしも人間的な利益をめぐっての争いや、人間的な不仲から生じる争いばかりではありません。純粋に信仰をめぐって、互いに一歩も譲り合わないところから生じる論争もあります。どちらも熱心に聖書を読み、神の教えに従おうという願いからでてくる論争です。
 こういう論争に対して、ただ数や力の論理で決着をつけては、余計に混乱が深まるばかりです。信仰に深く関わる問題だけに、こうした論争にも従わなければならない解決の手順があります。
 初代教会にも、そういう信仰に関わる問題がやがて持ち上がってきました。どちらの言い分も、明らかに間違っているとは言いがたい真理を含んでいます。もちろん、現代の視点から見れば、決着済みの問題ですから、どちらの言い分が正しいかは、はっきりしています。しかし、「その時代にとって」という視点で学ぶときに、教えられる点がたくさんあります。
 きょうは使徒言行録15章に記されたエルサレム会議のうち、問題の発端とその問題を提起した人たちの主張について学びたいと思います。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 使徒言行録 15章1節〜5節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 ある人々がユダヤから下って来て、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。さて、一行は教会の人々から送り出されて、フェニキアとサマリア地方を通り、道すがら、兄弟たちに異邦人が改宗した次第を詳しく伝え、皆を大いに喜ばせた。エルサレムに到着すると、彼らは教会の人々、使徒たち、長老たちに歓迎され、神が自分たちと共にいて行われたことを、ことごとく報告した。ところが、ファリサイ派から信者になった人が数名立って、「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ」と言った。

 前回の学びでは、パウロとバルナバが第一回の宣教旅行からアンティオキアに戻ってきたところまでを取り上げました。パウロたちは自分たちを派遣したこのアンティオキの教会で、宣教旅行の実りを報告し、多くの異邦人たちがキリストを信じる信仰に入ったことを語りました。
 この報告の内容はやがてユダヤの地にも聞こえてきます。きょう取り上げた個所には、ユダヤの地からある人々が下ってくるところからはじまります。

 ここに登場する「ある人々」が誰であるのかは、具体的には記されていません。ただ、その主張するところによれば「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」という教えを、信仰に入ったばかりの異邦人キリスト者に説いていたということです。

 この場合、この「ある人々」というのは、四通りの可能性があります。まず大きく分けてユダヤ教徒とキリスト者の両方から、この手の主張は出てくる可能性があります。依然としてユダヤ教を信じるユダヤ人が、自分たちの主張を説いて回っていた、という可能性は否定できません。同じようにユダヤ教から改宗してキリスト教を信じるようになったユダヤ人キリスト者も同じ主張をする可能性があります。
 しかし、その主張がユダヤ人だけによってなされたとは断定できません。当時、割礼を受けてユダヤ教に改宗した異邦人は少なからずおりました。その人たちから見れば、割礼も受けずに救われたなどと言っている異邦人に対して物申したいということは当然ありうることでしょう。同じように、ユダヤ教徒となったあとでキリスト教に改宗した異邦人も同様の主張をする可能性があります。

 これらの四つの可能性の中で、ここでいう「ある人々」というのは、おそらくユダヤ教からキリスト教に入信したユダヤ人キリスト者であっただろうと思われます。というのは、ユダヤ教を信じるユダヤ人たちからの反対については、この使徒言行録の中ではあからさまに「ユダヤ人」と名指しされていますから、ここではユダヤ教対キリスト教という対立ではなく、キリスト教内部の論争であるように思われます。
 それに、この「ある人々」の主張は、イエスが約束されたメシアであるというキリスト教の根本的な主張には反対していません。ですから、やはりキリスト教内部の人たちであると考えてよさそうです。

 これらの人々が異邦人である可能性は少ないだろうと思われます。すくなくとも大多数の異邦人キリスト者は割礼を受けていないわけですから、その人たちが「割礼を受けなければ救われない」と主張するはずはありません。仮に割礼を受けてユダヤ教徒となり、そののち洗礼を受けてキリスト者になった異邦人がいたとしても、その数は多数派ではないでしょうから、教会を脅かすような大きな主張にはならなかっただろうと思われます。
 そう考えると、ここに登場する「ある人たち」とはユダヤ人キリスト者と考えてよいでしょう。ただし、すべてのユダヤ人キリスト者がそういう主張をしていたというわけではありません。すでに11章で学んだ通り、ペトロが異邦人に伝道したことを非難したユダヤ人に対しては、事の次第がくわしく説明され、異邦人にも救いをもたらす神を共に賛美することで、この問題は一応の決着を得ています。

 さて、この「ある人々」の主張に、公平に耳を傾けて見たいと思います。まずこの人たちは、異邦人伝道そのものに否定的な考えを持っている人たちではありませんでした。異邦人は救われないのだと主張しているわけではありません。ただ、アブラハムに約束された祝福を異邦人が受け継ぐためには、アブラハムやその子孫であるユダヤ人がしてきたように、契約の印である割礼を受けなければならない、と主張しているのです。

 これは、旧約聖書が教える神との契約を重んじる立場からすれば、当然の主張に聞こえます。イエスをキリストであると信じることは、旧約聖書の時代から教えられてきた神との契約を反故にすることではないはずだからです。そうであれば、契約の印は受けるべきだ、という主張になったのでしょう。

 この考えに同調したのは、後で出てくる通り、ファリサイ派からキリスト教に改宗したユダヤ人キリスト者の人たちでした。もちろん、パウロ自身も厳格なファリサイ派の出身ですから、すべてのファリサイ派の出身者がその意見に同調したというわけではありません。

 この激論に対して、パウロやバルナバたちは使徒たちや長老たちと協議するためにエルサレムに登りました。これが後のその時代の教会会議の原型とも言われるエルサレム会議です。

 信仰に関わる重要な問題で、話し合いの場を持つ、という知恵は後々の教会の伝統の中でも受け継がれてきました。信仰に関わる重要な問題は、個人によって教会が正しい結論に導かれるのではなく、協同して話し合う会議の中に聖霊なる神が働いて、会議を正しい結論へと導いてくださると信じているからです。