2012年12月13日(木)異宗教を信じる人たちへの伝道(使徒14:8-20)
ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
日本に最初にやってきた宣教師フランシスコ・ザビエルは、キリスト教の神を表すラテン語の「デウス」という言葉を、日本人ヤジロウから学んで大日如来の「大日」と訳してしまったそうです。後にその間違いに気がついて、ラテン語の発音のまま「デウス」という言葉を使うようになったと聞いたことがあります。
キリスト教の「神」をその国の言葉でどう翻訳して伝えるかは、とても難しい側面があります。今では「神」という言葉をキリスト教の神にもそのまま使っていますが、聴く人の宗教によってその受け取り方は千差万別のように思います。
きょう取り上げようとしている個所にも、キリスト教の神をまったく知らない人たちが登場し、パウロたちのことを誤解してしまいます。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 14章8節〜20節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
リストラに、足の不自由な男が座っていた。生まれつき足が悪く、まだ一度も歩いたことがなかった。この人が、パウロの話すのを聞いていた。パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め、「自分の足でまっすぐに立ちなさい」と大声で言った。すると、その人は躍り上がって歩きだした。群衆はパウロの行ったことを見て声を張り上げ、リカオニアの方言で、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった」と言った。そして、バルナバを「ゼウス」と呼び、またおもに話す者であることから、パウロを「ヘルメス」と呼んだ。町の外にあったゼウスの神殿の祭司が、家の門の所まで雄牛数頭と花輪を運んで来て、群衆と一緒になって二人にいけにえを献げようとした。使徒たち、すなわちバルナバとパウロはこのことを聞くと、服を裂いて群衆の中へ飛び込んで行き、叫んで言った。「皆さん、なぜ、こんなことをするのですか。わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません。あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です。神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました。しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」こう言って、二人は、群衆が自分たちにいけにえを献げようとするのを、やっとやめさせることができた。
ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった。
パウロたちによる第一回の宣教旅行の記事から学んでいます。小アジアでは多くの異邦人からの改宗者を得た一方で、同胞のユダヤ人たちからは暴力的な迫害をも受けるようになりました。町から町へと場所を移動するパウロたちは、宣教の旅を計画に従って進めているというよりは、むしろ、迫害のために町から町へと逃れる難民のようにも思えてきます。
しかし、たとえ迫害のために町を追い出されたとしても、パウロたちは福音を伝えるという目的を見失ってしまったわけではありません。機会を見出しては、そこを宣教の地としました(使徒14:6-7)。
きょうの話の舞台となるのは、リストラという町です。この町は先週取り上げたイコニオンから30キロほど南西に下ったところにある町で、後に三回目の伝道旅行の時にパウロに同行することになるテモテがこの町の出身であったと言われる町です(使徒16:1)。
ローマ皇帝アウグストゥスの時代に植民地化されましたが、きょうの個所に登場してくる住民たちは、公用語のラテン語でもなく、教養ある人たちが話すギリシア語でもなく、リカオニアの方言を話す地元の人々です(14:11)。
この町にユダヤ人が住んでいたことは、テモテの母親がユダヤ人であったということからも明らかですが(16:1)、しかし、パウロはこの町では、ユダヤ人に積極的には伝道しなかったようです。それは、すでにピシディアのアンティオキアで「わたしたちは異邦人の方に行く。」(13:46)ときっぱり宣言したということもありますが、実際にはこの前のイコニオンで経験したとおり、ユダヤ人を相手に直接語れるような状況ではなかったということもあると思われます。
使徒言行録はこのリストラでの出来事として、一人の足の不自由な男の癒しとそれに続く騒動とを記しています。
ところで、見落としてはならないことですが、この一連の出来事のそもそもの発端は、この足の不自由な男の人が、パウロの話に耳を傾けていたというところにあります。つまり、パウロがこの男を癒そうと思ったのは、この人がパウロの話を聴いていたからでした。パウロは誰でもよいから一人を選んで癒しの奇跡を行ったわけではありません。「いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め」た人を選んだのです、。そして、パウロがこの人を見て「いやされるのにふさわしい信仰がある」と判断したのは、ほかでもなくパウロの語る話に耳を傾けていたからのことでしょう。
さて、この男の癒しをきっかけに、リカオニアの方言を話す地元民は、パウロやバルナバを神として崇めたてまつろうとします。もちろん、それはパウロの行った奇跡に対して驚きを感じたから、ということもあります。しかし、それ以上に、この地方には古い言い伝えがあったからです。
その昔、ゼウスとヘルメスが旅人に姿を変えてこの地方を訪れた時、町の人々はこの二人の神々を冷たくあしらったために、怒りをかって滅ぼされてしまったというのです。ただ、フィレモンとバウキス夫妻だけが親切にもてなしたので、その難から逃れることができた、という話が、ローマの詩人オヴィディウスの書いた『変身物語』に記されています。そういう言い伝えも手伝って、町の人々はパウロとバルナバをヘルメスとゼウスの再来と思いこみ、今度ばかりは粗相のないようにと、歓待したのでしょう。
パウロたちにとっては予想外の出来事だったでしょう。しかし、パウロはこの機会をもとらえて福音を語るときとしています。
実は、今までのパウロの伝道には、まったくの異なる宗教を信じる人たちへの伝道はほとんどありませんでした。異邦人を相手にするといっても、すでにユダヤ教の神を理解していた人々です。そう言う意味で、このリストラでの出来事は、教会にとって新しい一歩でした。
ここに異なる宗教を信じる人々へのパウロの説教が記されていますが、聖書の神を知らない人々にたいする配慮と工夫がなされています。
異なる宗教を信じる人々が多く住む日本でも、パウロのように機会をとらえ、配慮と工夫をこらしながら、福音の真理を大胆に語り続けたいと願います。