2012年11月8日(木)宣教への旅立ち(使徒13:1-12)
ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
「福音に国境はない」と最近つくづく思います。もちろん、福音を語る人間には、言葉の障壁があったり、国家間の障壁で越えられない国境があったり、ということはあるかもしれません。しかし、そういう困難を乗り越えて、今日福音宣教の働きは全世界に及ぶようになりました。これは言うまでもなく、聖霊の導きにほかなりませんが、しかし、その働きを、導かれるがままに受けて立つ教会の姿勢も大きいように思います。
教会が福音宣教の責任を自覚的に負うという意味では、今週から取り上げようとしているアンティオキアの教会は模範的な第一号であるように思います。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 13章1節〜12節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。
聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは、セレウキアに下り、そこからキプロス島に向け船出し、サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせた。二人は、ヨハネを助手として連れていた。島全体を巡ってパフォスまで行くと、ユダヤ人の魔術師で、バルイエスという一人の偽預言者に出会った。この男は、地方総督セルギウス・パウルスという賢明な人物と交際していた。総督はバルナバとサウロを招いて、神の言葉を聞こうとした。魔術師エリマ・・彼の名前は魔術師という意味である・・は二人に対抗して、地方総督をこの信仰から遠ざけようとした。パウロとも呼ばれていたサウロは、聖霊に満たされ、魔術師をにらみつけて、言った。「ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。」するとたちまち、魔術師は目がかすんできて、すっかり見えなくなり、歩き回りながら、だれか手を引いてくれる人を探した。総督はこの出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入った。
アンティオキアの教会の生い立ちについては、11章19節以下で既に学びました。エルサレムで起こった迫害によって散らされて行った人々のある者たちが、アンティオキアのユダヤ人以外の人々にも福音を告げ知らせたことが始まりでした。それ以後、バルナバとパウロがこの教会に加わり、さきほどお読みした個所には、「ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン」など、預言する者や教師たちがいたことが報告されています。残念ながら、パウロとバルナバ以外の三人については、ここ以外にほとんど名前が知られていないために、詳しいことは分かりません。
シメオンは「ニゲル」とも呼ばれていましたが、この「ニゲル」というのはラテン語で「黒」を意味することから、この人がアフリカ出身の黒人であったかもしれないと考える人もいます。しかし、ニゲル自体はありふれた名前で、この名前から黒人であったことを特定できるわけではありません。
ルキオについてはローマの信徒への手紙16章21節にも名前がありますが、同一人物であるかは分かりません。出身地がキレネですから、アンティオキアでユダヤ人以外の人たちに最初に福音を語ったあのキレネ人の一人であったかもしれません。
マナエンについてもここ以外には知られていませんが、ヘロデ・アンティパスと一緒に育った乳兄弟でした。ちなみにルカによる福音書の著者であり、この使徒言行録を書いた人物は、ヘロデ家に近い人物が、早い時期からキリストの弟子にいたことをルカによる福音書8章3節にも記しています。そこでは、イエスに従う婦人たちの一人に、「ヘロデの家令クザの妻ヨハナ」がいたと報告しています。
さて、これらの人々が主を礼拝しているときに、聖霊は、バルナバとサウロを選び出して、主の働きのために遣わすようにと告げます。
今までも人々が福音を告げるために遣わされたのは、聖霊の働きによってでしたが、今回が今までと違っているのは、十二使徒以外の人物が、福音を宣べ伝えるために教会から公的に派遣されるという点です。
確かにエルサレムの教会はエルサレムの地に縮こまっていたわけではありません。既に使徒言行録9章32節以下で学んだ通り、ペトロはリダ、ヤッファ、カイサリアへと旅をし、福音を伝えました。しかし、十二使徒以外の人物がエルサレムの教会から福音宣教のために派遣されたという記事は出てきません。
なるほど、ステファノは大胆に御言葉を語りましたが、しかし、遣わされて語った、という性格のものではないように思われます。
またフィリポによるサマリア人伝道も、エルサレムの教会の宣教計画によったというよりは、迫害によって散らされていった人々による自発的な伝道といった方がよさそうです。各地へ赴いたのは、計画によるものではなく、迫害という突発的な事態によるものです。
そう言う意味で、アンティオキアの教会が、パウロとバルナバの上に手を置いて福音宣教のために遣わしたのは、教会が積極的に宣教の働きに取り組んだ最初の例であるということができると思います。もちろん、彼らにそういう思いを与えたのは聖霊の働きによるものであることは言うまでもありませんし、アンティオキアの教会は、この聖霊の導きに応えたまでにすぎません。しかし、それでも、このアンティオキアの教会による宣教活動の始まりは、特筆に値するものがあります。
遣わされたパウロとバルナバが最初に向かったのは、キプロス島でした。このキプロス島は地中海に浮かぶちょうど四国の半分ほどの大きさの島で、バルナバの出身地でもありました(使徒4:36)。伝説によれば、イエス・キリストによって甦らされたラザロが、後に司教となってこの島で生涯を終えています。
それはさておくとして、バルナバにとっては。いわば勝手をよく知った故郷伝道をしたということになります。
キプロス島の最初の寄港地は、島の東にあるサラミスでした。ここにユダヤ人の会堂が複数あり、そのことはユダヤ人の大きな居住地がこの地にあったことを物語っています。これから後の伝道旅行でもそうですが、パウロたちはまず、ユダヤ人の会堂があるときには、そこを訪れて福音を語ります。そこにはユダヤ人はもとより、ユダヤ人の神を畏れる敬虔なギリシア人もいたからです。
そこから今度は島の西にむかってパフォスまで旅を続けます。ここで、バルイエスと呼ばれる魔術師エリマの妨害に遭います。バルイエスという名は、皮肉なことに「イエスの子」あるいは「救いの子」という意味ですが、
パウロは彼を「悪魔の子」と呼んでいます。
このバルイエスと呼ばれる魔術師エリマは、地方総督が福音に興味を示すのを妨害して、信仰から彼を遠ざけようとしますが、パウロによってその意図がくじかれ、視力さえも失ってしまいます。そして、このことをきっかけに総督が信仰に入ったことを使徒言行録は記して、キプロス伝道の成功を伝えます。
聖霊に導かれ、教会が福音宣教のために人々を遣わすところに、活き活きとした宣教の実りが生まれるのです。