2012年11月1日(木)解放されたペトロと迫害者の死(使徒12:11-25)
ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
日本のキリスト教会の歴史を振り返ってみただけでも、権力者による迫害はくりかえされています。豊臣秀吉や徳川幕府のもとでのキリシタン迫害のことは言うまでもなく、明治維新のあとも、数年間はキリスト教が禁令され、その間にも殉教したキリシタンたちが大勢いました。その後、第二次世界大戦中には、国家総動員の名のもとに、軍部による圧力を教会は否応なしに受けることとなり、教会の礼拝までが監視されるようになりました。戦後、新しい憲法の下では完全に信教の自由が保障されはしましたが、しかし、君が代、日の丸問題では、そのことが国家への忠誠の踏み絵とされ、再び権力者によってキリスト者へ圧力の手が伸びようとしています。
権力者との衝突は、使徒の時代からつづく、いわば避けて通ることのできない道なのかもしれません。しかし、そのような苦しみを味わいながらも、今日まで教会を支えてくださった神の恵みと御手の力を思います。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 12章11節〜25節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。門の戸をたたくと、ロデという女中が取り次ぎに出て来た。ペトロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもしないで家に駆け込み、ペトロが門の前に立っていると告げた。人々は、「あなたは気が変になっているのだ」と言ったが、ロデは、本当だと言い張った。彼らは、「それはペトロを守る天使だろう」と言い出した。しかし、ペトロは戸をたたき続けた。彼らが開けてみると、そこにペトロがいたので非常に驚いた。ペトロは手で制して彼らを静かにさせ、主が牢から連れ出してくださった次第を説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言った。そして、そこを出てほかの所へ行った。
夜が明けると、兵士たちの間で、ペトロはいったいどうなったのだろうと、大騒ぎになった。ヘロデはペトロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえで死刑にするように命じ、ユダヤからカイサリアに下って、そこに滞在していた。
ヘロデ王は、ティルスとシドンの住民にひどく腹を立てていた。そこで、住民たちはそろって王を訪ね、その侍従ブラストに取り入って和解を願い出た。彼らの地方が、王の国から食糧を得ていたからである。定められた日に、ヘロデが王の服を着けて座に着き、演説をすると、集まった人々は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。ヘロデは、蛆に食い荒らされて息絶えた。神の言葉はますます栄え、広がって行った。バルナバとサウロはエルサレムのための任務を果たし、マルコと呼ばれるヨハネを連れて帰って行った。
前回はヘロデ・アグリッパ一世によるゼベダイの子ヤコブの殺害と、投獄されたペトロが神の不思議な助けによって救いだされた記事を学びました。きょうはその続きです。
ペトロは天使の導きによって牢から逃れ出た後、あまりの不思議さに自分の身に起こったことを信じられない気持ちでいました。しかし、天使が去っていったあと、自分の身に起こったことを、神の救いのみ業であると確信するに至り、こう述べます。
「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」
主がわたしを救いだしてくださった、という確信ほど力強いものはありません。主がわたしの味方であるならば、いったい誰がわたしに敵対することができるでしょうか。主が味方であるなら、誰が訴えて罪に定めることができるでしょうか。キリストによって示された神の愛から、だれもわたしたちを引き離すことはできないのです。この確信はおそらくペトロを生涯にわたって支えたことでしょう。そればかりか、あらゆる迫害のもとにある者たちもまた、この確信によって苦しみを乗り越えてきたのだと思います。
さて、ペトロはさっそくヨハネの母マリアの家に向かいます。自分の家に戻らなかったのは、追手にたいする用心のためという理由もあるかもしれませんが、このヨハネの母マリアの家が、以前から使徒たちがよく集まっては熱心に祈っていた場所だったからでしょう。この時も、人々は集まって祈っていました。伝説ではイエス・キリストが弟子たちと最後の晩餐を共にした家がここであり、約束の聖霊を受けるまで、弟子たちが一緒に集まっていた家もここであったということです。
ここに出てくるヨハネという人物については、「マルコと呼ばれるヨハネ」と言われているとおり、後にペトロの通訳者として活躍し、マルコによる福音書を書いたマルコではないかと言われている人物です。使徒言行録の中ではパウロとバルナバと共に、第一回宣教旅行に出かけ、途中で一行から離れて行ってしまったことで、後に第二回の宣教旅行の際にはパウロとバルナバが対立してしまうきっかけとなる人物です。コロサイの信徒への手紙4章10節に登場する「マルコ」と同一人物であるとすると、彼はバルナバのいとこに当たることになります。
ペトロの突然の訪問を受けた人々は、いまだ信じることができない様子で、取次に出た女中であるロデのいうことが、正気とは思われず、取り合いもしようとしませんでした。ちょうどイエス・キリストが復活して、その葬られた墓が空っぽであったことを報告した婦人たちのいうことを、使徒たちが取り合おうともしなかった時のことを思い出させます。それほどに、ペトロが無事に解放されて、牢獄から出てきたことは、普通で考えてあり得ないことだったからです。
ペトロは集まっていた人々に事の次第を報告した後、このことをヤコブと兄弟たちに伝えるようにと告げます。ここに出てくるヤコブというのは、先週も触れたとおり、イエスの兄弟ヤコブのことで、エルサレム教会の主だった人たちの一人でした。パウロがガラテヤの信徒に宛てた手紙の2章9節には、ペトロとヨハネの名前に先だって記され、「柱と目される主だった人たち」として名前が挙げられている人物です。
さて、エルサレムの教会を迫害したヘロデ・アンティパス一世はその後、どうなったのでしょうか。使徒言行録は「蛆に食い荒らされて息絶えた」と記して、その突然の死を報告しています。そして、ヘロデの死の理由を、「神に栄光を帰さなかったからだ」と報告しています。
権力を握った者が、その力によって教会を迫害するとき、それに立ち向かうには、教会はまったく力のない存在のように思われます。実際、飢饉に対してさえ困窮にあえいでいたエルサレムの教会でしたから、権力者に太刀打ちできる力など持ちようがありませんでした。
しかし、この生まれたばかりの弱く、力のない教会を支えてくださっているのは、主なる神です。どんな権力者の妨害も、主なる神の力を押しとどめることはできないのです。