2012年9月6日(木)ペトロによる二つの奇跡(使徒9:32-43)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 イエス・キリストの弟子たちが、キリストが天にお帰りになったあとも、なおたくさんの奇跡やしるしを行っているのを聖書の中で読むときに、どうして現代の教会では奇跡がないのか、という疑問が聞かれます。
 これについては、現代の教会にも奇跡は現実に起こっている、という主張が一方にはあります。他方、奇跡は使徒たちの時代までのことであって、聖書が完結してからは、聖書に記されていることこそが信じるべき事柄の根拠であるという主張があります。この議論は残念ながら、ほとんど平行線に近い状態で今なお続いています。
 しかし、別の角度から物事を捉えれば、答えは一つしかないように思います。つまり、奇跡が現実に今起こらなければ人は信じることはないのだろうか、と問うてみれば、答えは否です。奇跡を目の当たりにしなくても、キリスト教信仰を持つ人はいくらでもいるからです。逆に奇跡を目の当たりにすれば、誰でも信仰を持つのか、と問うなら、これも答えは否です。イエス・キリストの時代でもそうでしたが、奇跡を見ても信じない人はいくらでもいるからです。
 きょうこれから取り上げようとしている個所には、ペトロによっておこなわれた奇跡が二つ記されていますが、これは信じる者にとってこそ意味のある話です。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 9章32節〜43節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 ペトロは方々を巡り歩き、リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下って行った。そしてそこで、中風で八年前から床についていたアイネアという人に会った。ペトロが、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネアはすぐ起き上がった。リダとシャロンに住む人は皆アイネアを見て、主に立ち帰った。
 ヤッファにタビタ・・訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」・・と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。ところが、そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼んだ。ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。ペトロはしばらくの間、ヤッファで革なめし職人のシモンという人の家に滞在した。

 きょう取り上げる個所は、今まで学んできたパウロの回心の記事とは直接結び付いているわけではありません。むしろ、パウロの話とは独立して伝えられた話といってもよいくらいです。ペトロが行った宣教というくくりで考えるとすれば、むしろ8章14節以下に記されていたペトロのサマリアでの福音宣教に続く話のようにも受け取れます。

 いずれにしても、使徒言行録はここで再びペトロの働きに注目して話を勧めます。きょう取り上げる話の舞台となるのは、いずれもエルサレムから見て北西の方角にある町です。後の話に出てくるヤッファは地中海の沿岸に面する港町で、かつて預言者ヨナがタルシシュに向かって船出した場所です。最初の話に出てくるリダはその手前およそ13キロにある町で、エルサレムからヤッファに向かう街道沿いの町です。

 さて、最初の話はペトロがリダに住む聖なる者たち、つまりクリスチャンたちを訪ねたところから始まります。リダにどのような経緯でキリスト教が入って行ったのかは知られていません。ステファノの迫害によって散らされていった人たちによってもたらされたのか、あるいは、イエス・キリストが地上にいた時に、既にキリストを信じる者たちがいたのかも知れません。ただそうだとしても、キリストの復活と聖霊による洗礼について、だれかこの町に知らせる者がいたはずです。

 そして、ペトロはこの町で八年も中風で床についていたアイネアという男に会って、その病を癒します。このペトロによる奇跡の話は、ルカ福音書5章に記されているイエス・キリストが中風の男を癒した記事を思い出させます。明らかにペトロはイエス・キリストが中風の男を癒したのと同じ力をもってこの男の病を癒します。もちろん、ぺトロが癒しの奇跡をなすことができたのは、ペトロ自身が習得した奇跡の力によるではなく、イエス・キリストが聖霊を通してペトロに癒しの力を与えたからです。ペトロ自身、「アイネア、イエス・キリストがいやしてくださる」と語って、イエスの御名による癒しを宣言しています。

 このアイネアの癒しは、ただアイネア一人のためだけではありませんでした。この癒しの奇跡を通して、リダとシャロンに住む人々は、主に立ち帰ったとあります。シャロンというのはヤッファから海沿いにカルメル山辺りまで北へ広がる平野で、この癒しの奇跡がどれほどの広範囲に福音を押し広げて行ったのかということが分かります。

 もう一つのエピソードは、タビタという婦人の話です。この話もまた、イエス・キリストによって行われた奇跡の業、会堂司ヤイロの娘の死からの甦りの奇跡を思い出させます(ルカ8:40-56)。イエス・キリストはヤイロの娘を死から呼びもどすとき「タリタ、クム(娘よ、起きなさい)」(マルコ5:41)と言いましたが、おそらくペトロはタビタに対して同じように「タビタ、クム」と呼びかけたことでしょう。

 ところで、このタビタの甦りの話は、単にヤイロの娘の話の焼き直しではありません。ペトロによって行われる奇跡そのものも重要ですが、タビタ自身がキリストの弟子として行ってきた慈善の業にも目を引くものがあります。その具体的な働きは、社会的に弱い立場にあるやもめたちを支援して、下着や上着を作っては与えていたということです。タビタの世話になったやもめたちが泣きながら、タビタが自分たちに作ってくれた下着や上着をペトロに見せる様子が描かれていますが、タビタがキリストの弟子としてどれほどやもめたちを愛していたか、そしてどれほどやもめたちから慕われていたかということがうかがわれます。
 確かに、ペトロが行った二つの奇跡を通して、シャロンとヤッファの人々が主に立ち帰り、福音が広がっていく様子が、ここにはそれぞれの奇跡の結果として描かれていますが、しかし、奇跡だけが福音を拡大していく原動力だと勘違いしてはなりません。
 タビタのような、キリスト者としての愛の証しもまた人々をキリストへと結びつける大きな力であったことを忘れてはなりません。イエス・キリストがそうであったように、タビタもまた目の前にいる貧しく弱い人々と共にいることを通して、神の愛を証しする生き方だったのです。それは、イエス・キリストを通して、タビタ自身が神の愛を身近に感じたからでしょう。そのように聖霊がタビタに働きかけてくださり、必要な賜物をタビタに授けてくださったのです。

 もし、使徒言行録がタビタの働きを記していなければ、タビタのことは時代と共に忘れ去られていたことでしょう。おそらくキリスト教の拡大を愛の業で支えた知られざるタビタは他にも大勢いたに違いありません。そのような人々を通して主が豊かに働いてくださったことにも心にとめたいと思います。