2012年8月9日(木)福音の受容と誤解(使徒8:9-25)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 どこの教会でもそうだと思いますが、伝道について考える機会は数多くあると思います。もちろん、キリスト教の福音の内容そのものを時代に合わせて変えることはありませんが、提供の仕方は時代や場所や対象によって千差万別です。また福音宣教の対象をどの層に絞るか、ということも、その教会が置かれている状況によって変わってきます。
 使徒言行録を読んでいると、伝道の機会を巧みに捉えて、教会の福音宣教の働きが進展していく様子が活き活きと描かれています。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書使徒言行録 8章26〜40節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。フィリポはすぐ出かけて行った。折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。すると、”霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。彼が朗読していた聖書の個所はこれである。「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない。卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。フィリポはアゾトに姿を現した。そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。

 ステファノの殉教をきっかけに、エルサレムにいた多くのクリスチャンたちは迫害によって散らされてしまいました。しかし、そのような苦しい中にあっても行く先々でキリストの福音を語る機会を得ました。今回も散らされていった一人であるフィリポの働きを使徒言行録は追っています。

 ところで、この迫害によってどのくらいの人たちが散らされていったのか、また、迫害の規模がどの程度のものであったのか、使徒言行録は迫害の全体像を記してはいません。ただ、使徒言行録はそれが大迫害であったこと、使徒たちのほかは皆エルサレムから散らされたこと、そして、特にサウロという人物が迫害に熱心であったことを記すだけです。
 それから、散らされていった人たちの中では、特にフィリポの働きが詳しく記されているだけで、他の人たちがどうなったのかはほとんど何も記されていません。既に学んだ通り、フィリポはステファノが選ばれた時と同じ時に選ばれた、七人の内の一人で、ギリシア語を話すユダヤ人を世話するために立てられた人物です。もしかすると、このとき起こった迫害というのは、主としてギリシア語を話すユダヤ人キリスト者に狙いを定めたものであったのかもしれません。
 そうだとすれば、エルサレムを去っていった人々が、エルサレムを離れることにそれほどのためらいもなかったということに頷けます。また、ギリシア語に堪能であれば、どこにいっても言葉で苦労することがなかったばかりか、それは福音を述べ伝える上で、大きな助けになったはずです。
 他方、先週学んだ通り、使徒たちはエルサレムに残って、そこからサマリアまで安全に往復できました。迫害の矛先が使徒たちには向いていないような印象を受けます。そうすると、やはり、今回起こった迫害は主としてギリシア語を話すステファノとその仲間の人たちに及んだのではないかと思われます。

 さて、それはさておくとして、フィリポはサマリアでの活動のあと、南のガザにまで下って行きます。地図で確かめると分かる通り、サマリアはエルサレムよりも北、ガザはエルサレムよりも南です。移動の距離はかなりのものとなります。そして、また、そういう無駄とも思える移動の仕方は、いかにも迫害によって逃げ惑っている様子をうかがわせます。

 しかし、使徒言行録は、フィリポを迫害に逃げ惑う弟子として描くのではなく、主の命令によって、迫害の中にあっても、いえ、迫害のことなど気にも留めないで、自由に福音を語り伝える人物として、その活躍を描きます。

 既に学んだ通り、フィリポの活動を通して、ユダヤ人にとっては受け入れがたいサマリアの人々が、キリストを信じて福音を受け入れるようになりました。今回フィリポが福音を伝える相手は、地位の高い外国の要人でした。
 彼は宦官であったと言われているので、文字通り去勢された男性であるとすれば、神の民の会衆の一員にはなれないことになっています。申命記23章2節がそれを禁じているからです。
 ユダヤ人にとっては主の会衆に加えることのできない宦官に福音を語り、洗礼を受けるまでに導いたというこのフィリポの活躍の話は、それはそれで大変意味深い話です。

 しかし、その当時の「宦官」という言葉は、文字通り去勢された者を意味するのではなく、単に女王に仕える高官というのと同じ意味で使われていた、というのも事実です。もし、そうだとすれば、エチオピアの宦官が洗礼を受けた話には、また違った意義があることになります。

 エチオピアというのは、旧約聖書の世界では、ナイル川のずっと南の地(創世記2:13)でした。「インドからクシュに至るまで」(エステル1:1)…クシュというのはエチオピアのことですが、そんな表現にも使われるほど、エチオピアは地の果てのイメージでした。そういう地の果ての国の高官がキリストを受け入れた、ということは、これはこれで意義深い話です。

 しかし、そのことよりももっと注目に値することは、このエチオピアの高官が読んでいた聖書がイザヤ書の53章であったこと、そして、フィリポはそこに描かれる人物をイエス・キリストのことであると、その解釈を示したことです。イザヤ書に描かれる苦難の主の僕が誰であるのかは、様々な解釈があるでしょう。しかし、キリスト教にとっては、この苦難の僕こそ十字架におかかりになったイエス・キリストご自身に他ならないのです。

 こうして、聖書の解き明かしと、聖霊の導きとによって一人のキリスト者が誕生しました。フィリポはそのあとすぐにこの場所を離れて行ってしまいますが、この高官は「喜びにあふれて旅を続けた」、と使徒言行録は記します。サマリアでの伝道のときも、使徒言行録は「町の人々は大変喜んだ」と記して、福音を聞き、救いを目の当たりにした喜びを伝えましたが、ここでも喜びについて語っています。キリスト教の福音と喜びは切り離せないからです。